更新日:2018.08.30  writer:安田理央

形を変えても欄間彫刻の技術を残していきたいんです。

欄間彫刻師
朝倉 準一(あさくらじゅんいち)さん
香川県/高松市

彫刻が施された欄間は古くから日本家屋に欠かせない存在であった。木目を活かした華麗な彫刻は、天井と鴨居の間のわずかなスペースのなかに花鳥風月の世界を展開し、見る者の目を楽しませてきた。そこには日本の伝統的な木工技術の粋が集められているのだ。代々続く欄間職人の若き後継者であり、最近は箸づくりでも注目されている『朝倉彫刻店』の六代目・朝倉準一さんを訪ねた。

欄間彫刻とは?

欄間とは、日本家屋の天井と鴨居の間に設ける開口部を指し、格子や透かし彫りなどを施した板がはめ込まれる。採光や通風が目的で、奈良時代に寺社や貴族の住宅に用いられたことに始まり、江戸時代以降は一般家屋にも普及した。富山県の井波地区や大阪、そして香川県の高松が産地として知られている。高松の欄間彫刻は1988年に香川県伝統工芸品に指定された。

思うように彫れるまで10年かかった

朝倉家は、明治元年に宮大工として独立した津太郎さんから始まり、代々続く木工彫刻師の家系だ。準一さんの祖父であり、四代目にあたる善雄さんが宮大工から欄間職人へと転身し、以降、父である理さん、そして準一さんと同じ道を歩んでいる。
1980(昭和55)年生まれの準一さんは、幼い頃から欄間をはじめとする木工彫刻に勤しむ父親の姿を見て育った。しかし準一さんは高校卒業後、別の道を歩もうとした。「自動車整備士になろうと思って、専門学校に進んだんです。車が好きだったからというのが理由ですが、どこかに父親への反発もあったのかもしれません。でも、やってみると何か違ったんですね」

“金属は自分に合わない。やっぱり木が好きなんだと気づいて、学校は半年で辞めました(笑)”

そして準一さんは祖父、父親と同じ欄間職人、木工彫刻師の道を歩むことになる。いざ自分でやってみると“木を彫る”という作業の難しさ、奥深さを思い知った。「父親はサクサクと彫っていたんですが、自分がやるとそうはいかない。木にはそれぞれクセがあって思うように彫れないんです。道具が身体の一部のように感じられて、自然に手が動くようになるまで、10年はかかりましたね」
28歳のときに、父親から代を譲られる。以降、準一さんは欄間、そして神社や寺院などの装飾彫刻を手がけてきた。

準一さんの父・理さんが若いときに彫ったという仁王像。「こうした彫刻で一番難しいのは肉づきの表現ですね。それからやっぱり顔です。彫っているうちになぜか身内に似てくるんですよ。父親だったりおばあちゃんだったり(笑)」

一枚の板の厚さのなかに世界を生み出す

欄間をはじめとする木工彫刻で最も難しいのは素材選びだ。「木は一本一本個性があるんです。木目の方向や硬さなどそれぞれが全く違う。だからどの木を選ぶか、そしてその木に合った彫り方はどうなのかを考えることが最も重要なんです。欄間は木目が穏やかな物じゃないと難しいですね。木目が荒れ狂っている物は彫り難いんです。材料の目利きばかりは身体で覚えていくしかないんですよ」
木目という表情しかない一枚の板から、精密な彫刻によって花鳥風月の世界を生み出していくのが欄間を彫る面白さだ。板のわずかな厚みのなかで奥行きをもたせなければならない。前と後ろしかなく、横から見ることができないというのも欄間ならではの特徴である。

“彫るときの感覚も、普通の彫刻とは全然違うんですよ”

まず使用する板を選び、表面に構図を下描きしていく。別の紙に描いて、それを貼り付けることもある。次に抜ける部分を糸鋸で切り抜く。その後は彫刻刀でひたすら彫り出していく作業が続く。主に使用する彫刻刀は10種類から20種類だが、準一さんが所持している彫刻刀は100本を超えるという。作業する部分の面積に合わせて、彫刻刀の太さを変えていく。表面をある程度彫ってから、裏面を彫るという手順で進めることが多い。
作業するときに最も気をつけているのはバランスだ。彫刻の密度や奥行き感が偏ってしまうと見栄えが悪くなる。ただし欄間の場合は、お座敷の上座から見えるのが表面、下座から見えるのが裏面になるという特性上、裏面は気持ちあっさりとした造りにするのがコツだという。細部が割れたり、折れてしまったりすれば全ては台無しだ。「木工職人のプライドがありますので、折れたところをつなぐわけにはいきませんね」
作業が進み細部を彫り込む段階になるにつれ、より高い集中力が要求されるのだ。

わずか数センチという厚さのなかに奥行きのある世界をつくり出さなければならないのが欄間彫刻だ。最も気をつかうのは、奥行き感のバランスだ。一部だけ力を入れてしまうと、全体の印象がおかしく見えてしまうという。

箸づくりで木の魅力を再認識する

欄間は基本的に部屋と部屋との境目の天井近くに設けられる物だ。つまり和室が二間以上続く家にしか必要ない。現在の住宅事情では欄間を設けられる家は減少するばかりだ。また、通風と採光のために空けられた空間が、エアコンを使うときには欠点となってしまう。「欄間や彫刻だけだったら、この先は厳しいなと漠然と思っていたんです。5年、10年先の自分を想像することができない。ある日、ご飯を食べているときにふと手に持っている箸を見て、これも木だなと気がついたんです」
そして、準一さんは箸をつくることを思いつく。今から8年前の話だ。しかし朝倉彫刻店ではこれまで箸の製作を行った経験はなかった。準一さんは手探りの独学で箸づくりに挑むことになった。「削り台に挟んでカンナをかけていくわけですが、削り台も自作しました。カンナもそれまで使っていたカンナとは別の物なので、最初は使い方には苦労しましたね。使い回せる技術はカンナの歯を研ぐことくらいでした」
材質にもこだわった。それまで彫刻では、杉、欅、檜、楠くらいしか使わなかったが、箸をつくるにあたって準一さんは世界中から250種類ほどの木を取り寄せて削ってみた。現在はそのうちの188種類を選んで使用している。

箸を削るための台も準一さんの自作だ。普通は水平に削るが、斜めになっているほうが削りやすいのではないかと製図台をイメージしてつくったという。台にベンツのエンブレムがつけられているのは、自動車好きの準一さんの遊び心だ。

“木って面白いな、と改めて気づきました。本当の木の魅力がわかったのは、箸をつくり始めてからかもしれないですね”

形も三角形から八角形まで様々な形を用意した。由緒ある彫刻師によるものだけあって、緻密につくられた箸は手に吸いつくように馴染む。「箸をつくるようになって、お客さんの反応をリアルに感じられるようになりました。箸って、ご飯を食べるための道具なんですよ。毎日使う物だから使い心地が大事なんです。よく『あんたんとこのお箸じゃないとダメなんや』って言われるようになりました。これは鑑賞物である彫刻をやっていたときには言われたことのない感想でしたね」

材質、角数、そして長さも豊富に揃えられているので、その組み合わせは膨大なものになる。手の形もひとりひとり違うのだから、手に馴染む箸の種類もそれだけ必要になるのだ。毎日使う箸だからこそ、手に合うかどうかはこだわるべきなのだ。

木にはまだまだ可能性がある

準一さんは箸づくりの他にも、ボールペンや万年筆、箸おき、指輪、そしてネクタイ(!)といった小物もつくっている。「とりあえず面白そうな物は何でもつくってみようと思ってるんです。注文を受けてポルシェ911ターボの模型を木でつくったこともありますよ。木にはまだまだ可能性があると思っていますし、形を変えても欄間彫刻の技術を残していきたいんです」
朝倉彫刻店のある高松市松福町周辺も、かつては職人が多いエリアだったという。杣場川という川が流れ、川沿いには多数の材木店があり、木工職人も多かった。しかし、杣場川(せんばがわ)は現在は地中に暗渠され、木材店や職人たちも姿を消してしまった。「今はみんな跡取りがいないみたいで、同業者も少なくなってしまいました。若いのは、もう僕だけじゃないかな」
生活だけを考えれば、こういう職業は選ばないと準一さんは笑う。「でも、僕が箸を見つけたように、まだまだやり方はあるんじゃないかなと思うんですよ」

ボールペンや万年筆も朝倉彫刻店の人気商品だ。彫刻職人ならではの仕上げの美しさと手に馴染むフォルムは、一度使ったら手放せない。こちらも花梨からブナ、白樫、アサダなど、様々な木材が用意されているので自分の好みのものを選ぶことができる。
店頭に飾られているボードには、明治元年の朝倉津太郎さんから現在の準一さんまでに至る朝倉彫刻の歩みと、“妥協せずにものを作るのは職人のつとめ”“御客様にマンゾクして頂くのは商人のつとめ”という朝倉彫刻店のこだわりが書かれてる。
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