更新日:2017.10.20  writer:盛林まり絵

今ある材料が高価で貴重だからこそ、一つひとつが真剣勝負。

三味線職人
向山 正成(むこうやままさなり)さん
東京都/江戸川区

江戸から明治にかけて、日本の庶民に最も愛された楽器が三味線である。昭和に入ってからも民謡ブームに乗って三味線人口は増加し、身近な存在であり続けた。しかし、昭和50年代後半から三味線人気は下火になっていく。製作においても、材料の枯渇、職人の廃業など厳しい状況が続いている。そんななか、江戸時代から続く伝統的技法で三味線づくりを続ける都認定の伝統工芸士・向山正成さんにお話を伺った。

三味線とは?

三味線とは日本の撥弦楽器で、東京三味線は都指定の伝統工芸品。三味線のルーツは中国の三弦といわれ、14世紀末に沖縄へ、16世紀後半に沖縄から大阪へもたらされた。琵琶法師により楽器の材料と奏法が改良され、江戸時代になると江戸の町を中心に長唄や浄瑠璃といった邦楽の発展とともに進化を遂げた。それが伝承されたものが東京三味線と呼ばれている。

三味線職人は天職という想いで不景気が続いてものれんを守る

下町情緒漂う東京都江戸川区平井で向山楽器店を営む向山正成さんは、1951年に三味線職人の長男として生を受けた。物心ついた頃から後継ぎの自覚をもち、父の職場で遊びながら三味線に触れ、手伝いをして育ったという。しかし、高校を卒業していざ後を継ごうとしたときに父親と大喧嘩し、一度は会計事務所に就職した。「そこには1969年から1971年まで務めたんですけど、当時は民謡ブームで三味線需要が高く、店がもの凄く忙しかったんです。親父が大変な状況だったし、親子ですから、喧嘩から数年も経てばやっぱりね。仕事が一番わかっているのは私だから、家に戻りました」。
当時はひっきりなしに注文が入り、とにかく必死でつくり続けた。三味線の形さえしていれば何でも売れた時代で、機械製のものが増え、粗悪品も随分出回ったという。しかし良い時代は長く続かず、1980年をピークに売り上げは下り坂に転じていった。三味線業界全体が低迷するなかでバブルが崩壊し、向山さんは財テクによる借金も抱えて苦しい状況に追い込まれた。
けれども向山楽器店を畳むことは一切考えなかった。朝も夜もアルバイトをかけもちして働き、借金を返しながら、職人としての仕事は懸命に続けた。業界の不景気は現在も続いているが、向山さんは邦楽器全般の修理や中古品の買取・販売、一般客向けの職人体験の受け入れなどを積極的に行い、店ののれんを守り通してきた。

“今も売り上げは最低記録を更新しています。それでも、この仕事は天職だと思ってますから、どんなに景気が悪くなろうが辞めようと考えたことはありません”

伝統的な材料の枯渇が深刻。だからこそ常に真剣勝負で挑む

時代の変化とともに伝統芸能としての邦楽に親しむ人が減ってしまったことで、廃業する職人が増えているのは大きな問題だが、材料の枯渇も深刻だという。三味線の棹に使われてきた木材「紅木(こうき)」も、糸巻き・撥(ばち)の材料となる『鼈甲』『象牙』も、ワシントン条約により現在は輸入禁止か厳しく輸入制限されている。胴に張られる猫皮・犬皮も、世界的な動物愛護の流れから入手が難しくなっている。
こうした状況に対応するため、向山さんが専務理事を務める東京邦楽器商工業協同組合では東京都と共同で、犬皮・猫皮の代替品としてカンガルー皮の製造特許を取得した。山羊皮や合成皮、アラミド繊維などの使用、象牙の撥の代用としてプラスチック撥の開発なども進められている。将来的に材料は代替品に置き換えられても、三味線自体をつくることは可能だろうと向山さんは考えている。そして「今ある材料が高価で貴重だからこそ、一つひとつが真剣勝負」という想いで作業している。

三味線の調弦(チューニング)に必要な『糸巻き』の材料は象牙や黒檀、プラスチックなどが使われる。弦の材料は時代と共に絹糸から合成繊維のナイロン、テトロンに変化した。太さの異なる三本の糸を糸巻きで締めて音の高さを合わせる
よく乾燥させた犬皮を胴の大きさに合わせて切っていく。切れ端は甲冑の材料になるため甲冑師に卸され、無駄にならない。皮の種類によって毛穴の大きさや厚みが違うため三味線の音質も異なり、猫皮は舞台用、犬皮は稽古用に使われることが多い

昔ながらの手作業にこだわり江戸から続く伝統技術を踏襲

三味線を完成させるには様々な工程が必要で、工程ごとに分業化されている。向山さんは主に皮を張り、材料を組み立てて仕上げる職人である。胴に皮を張る方法として現在は機械張りが増えているが、向山さんは手張りを貫いている。三味線には伝統的に猫か犬の皮が使われるが、天然の皮には個体差がある。長年の経験によってその違いを見極め、その日の天気や湿度を考慮しつつ、昔ながらの道具を使って少しずつ伸ばして張っていくのが手張りのやり方だ。胴と皮の接着には餅を粉状にした寒梅粉をお湯で溶き、ときにはボンドも混ぜて、自分で練りあげた糊を使用する。

“皮は一枚一枚違いますし、部分によって厚みも違う。どの部分を伸ばすと良い音がするか見極め、糊が乾くまでの間に調整しながら張れるのが手張りの良さです”

寒梅粉をお湯で溶き、練って作った糊。乾くと強力な接着力を発揮する。濡らしてよく絞った布で皮を巻いて湿らせた後、裏側を丁寧にヤスリで擦ったら、この糊を胴の枠に薄く塗り伸ばし、その上に皮を張っていく
木製の洗濯バサミのような『木栓(きせん)』で皮を四方から挟んだ状態で胴に張り、張り台の下部の突起と木栓を綱で結んで締め上げていく。木栓の間に『楔(くさび)』を打ち、最後に細い棒状の『捩り(もじり)』を綱に捩り込んで、張り具合を微調整する。使用する人の特徴に合わせて仕上げる職人技だ

磨きに関しても同様に、手作業にこだわっている。関西では仕上げに漆を塗るが、東京三味線は磨いて仕上げるのが特徴だ。向山さんは数種の砥石を使い、時間をかけて滑らかで自然なツヤを出していく。「東京でも『拭き漆』といって漆を拭きこむ方は多いんですが、うちは磨きだけで光沢を出す様にしています」。どの工程も機械化せず、父から受け継いだ伝統技術を継承している。
「新しいことに挑戦するのは好きなんですが、この仕事については伝統技術を踏襲していくのが大事なんじゃないかと思っています。その上に何かひとつ上乗せできればいいかな」。

気さくな人柄で、海外から来たアーティストと楽器を交換することもあり、博物館ができるほど様々な楽器が集まったと笑う。過去に出演したテレビのクイズ番組や、和楽器鑑定士として活躍した『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)などの話も披露してくれた
三味線は主に棹の太さによって『太棹』『中棹』『細棹』の三種に分類され、民謡や浪曲、長唄、小唄などジャンルによって使い分ける。棹が太いほど胴も大きめ。胴は一般的に花林(かりん)でつくられ、内側に『綾杉彫り』が施されたものは音に微妙な膨らみが出るという

行儀作法まで自然と身に付く和楽器の愛好者を増やしたい

三味線職人として一通りの作業ができるようになるまで最低10年はかかるといわれる世界で、職人に向いているのは“不器用な人”だと語る。「初めからよくできる器用な人だと熱の入り方が違うというか。気の長い人、根気のある奴が職人向きです」。体験学習に来る学生には、生きる上で大切な気が五つあるという話を好んで聞かせている。「元気、根気、やる気、勇気、本気の五つ。プラス、人に好かれるという意味で人気も大事。体験でやってもらう磨きの作業で根気を養うことができ、受験のときにも役立つよ、とよく話しています」。
しかし今の時代、根気があってもほとんど収入のない状態で10年もの間働くのは難しい。後継者問題に悩む職人は多いが、向山さんの息子は20代後半で後を継ぐことを決意した。父として嬉しくはあるが、他の道に進んだ方が安心だという複雑な想いもある。「これから三味線職人になりたい人は、元宮大工とか建具屋など腕に覚えのある人、あるいは邦楽関係者だから顧客がつく見通しが立つといった人以外は、食べていくことにこだわらず、趣味や副業として技術を身につける方がいいと思います」。余裕があるなら、まず三味線を習うことも勧めている。自分の楽器の簡単な修理ができれば役に立つし、稽古仲間から仕事を請ける可能性もあるからだ。
日本文化を受け継ぐ伝統工芸士として、愛好者を増やしたいというのが一番の願いだ。「私のような団塊世代までは三味線と琴が花嫁修業のひとつとして人気の習い事だったんですよ。着物の着付けから行儀作法、楚々とした立ち居振る舞いが自然と身に付くという良い面があるんです」。

“日本の楽器、文化を絶やしたくない。職人は安く販売できるよう工夫して頑張っていますから、ぜひ多くの方に三味線に触れて欲しいです”

向山 正成さんの関連記事
Related report
Keyword Search
Facebook