更新日:2017.11.25  writer:盛林まり絵

職人は使う人がいて成り立つもの。だから、その人達に喜んでもらえるものをつくりたい。

和紙漉き職人
久保田 彰(くぼたあきら)さん
島根県/浜田市

“日本一丈夫”“濡れても破れない”“1000年保つ”といわれるほどの強靭さを特徴とする石州和紙(せきしゅうわし)。19世紀末には石見地方に6,377軒の石州和紙の事業所があったが、今は三隅町にわずか4軒しか残っていない。そのうちのひとつが、石州和紙久保田の二代目・久保田彰さんだ。先代が始めた海外研修生の受け入れ、海外への技術指導などを引き継ぐとともに、伝統工芸士としてより広く後継者・伝承者の育成に心を砕いている。

石州和紙とは?

石州和紙は島根県の西部地域(石見地方)にて約1300年に亘り、伝統的な手漉き技法によってつくられてきた和紙。1798年発行の『紙漉重宝記』には、万葉歌人の柿本人麻呂が石見の国に紙漉きの技を伝えたと記されており、現在の島根県浜田市三隅町にその技術・技法が継承されている。類いまれなる強靭さで広く知られる石州和紙(石州半紙)は、文化庁の重要無形文化財、国の伝統的工芸品、ユネスコ無形文化遺産に指定されている。

石州和紙の良さを教えられ、自然に後を継ごうと思うように

1950年に島根県浜田市三隅町で生まれた久保田彰さんは、和紙職人の父を見て育ち、後を継ぐべき立場の長男であったが、特別なプレッシャーは感じていなかったという。中高は野球に打ち込んで甲子園にも出場し、高校卒業後は一浪して東京の大学に進学した。しかし三年生の頃から、上京する父に連れられ文化庁の技官や画廊、画家など石州和紙に関わる人と会う機会が増えていった。「色々な方から石州の紙の良さを聞き、展示会に買いに来る様子を見て、自然と家業を継ごうと思うになりました」
24歳で三隅町に戻り、父の下で修行を始めると同時に、大学時代に東京で出会った女性と結婚。二男一女に恵まれ、奥様も家事と育児に奮闘しながら工房に入り、夫婦で和紙づくりに励む日々が続いた。豪雨による水害、人手不足による生産量の伸び悩みなど厳しい時期もあったが、現在は二人の子どもと従業員二名が工房に加わり、石州和紙久保田を支えている。

“工房に入る色々な方とも、家族のようにやっていければ理想的です”

父の代から引き継いできた後継者と伝承者の育成

石州和紙の職人数は激減しており、1974年に10軒あった事業所が、今では4軒しかない。原因は職人の高齢化と後継者不足による廃業だ。幸い、4軒には後継者がいるが、各事業所での研修生の受け入れ、和紙づくりの全工程が体験できる石州和紙会館の設立など、地域全体で産地の後継者育成に尽力している。
久保田さんの工房では家族のほかに、大阪からIターン移住した就業7年目の森川勇さんと、武蔵野美術大学卒で就業2カ月目の伊藤咲穂さんが働いている。
森川さんは転職活動の一環として参加した浜田市主催のふるさとツアーで紙漉きを体験したのをきっかけに、久保田さんの工房に勤めることになったそうだ。石州和紙のデザインコンペに応募し、大賞を受賞したこともある。「空気がきれいで静かな環境にいると、物事がじっくり考えられる。楽な服装でリラックスして働けるし、仕事に打ち込むと無の境地になれる。体が動く限り続けたい」と森川さん。伊藤さんは作家として、鉄の鉱物を紙と一緒に漉き込み、自然に酸化させた『錆和紙』という作品を発表している。素材としての和紙に可能性を感じ、つくりかたを学ぼうと石州和紙久保田の門を叩いた。「楮は強靭で鉄に負けずに紙の形状を保ってくれ、立体におこすことができる。1300年前に和紙に書かれたものが今も読めることを考えると、情報伝達ツールとしても非常に優れている」と石州和紙の魅力を語る。
「自分でいちから紙漉きの設備を揃えるより、せっかくご縁があったのだから、ここを利用すればいい」と久保田さんは語り、二人を温かく受け入れている。

『黒皮そぞり』をする森川さん。材料の原木を蒸す・表皮を剥ぐ・乾燥させた後の工程。半日以上水に浸けて柔らかくした黒皮を、そぞり台に乗せて包丁で一本一本丁寧に表皮を削っていく。そぞりの仕方は工房によって微妙な違いがあるという
「和紙づくりに触れることで、昔の人がいかに素材をよく知り、愛していたかがわかります。伝統文化を継承してくださる職人さんがいて、私は材料や素材の良さを引き出した作品をつくることで、和紙の魅力を多くの方に気づいてもらいたいです」

さらに、石州の技を伝承する伝承者の育成にも携わってきた。上質な紙が不足していたブータン王国からの要請を受け、1986年から三隅町及び石州半紙技術者会との交流が始まり、専門家として最初にブータン王国を訪れたのが久保田さんの父だった。その後も長年に亘って技術指導、研修生の受け入れを続けてきた。

“石州の名を使えという意味でなく、石州の技を伝承し、地元の材料で地元に合った紙づくりをしてもらいたい。そういう意味で、後継者とは違う伝承者も大切にしています”

地元の風土に合った紙漉きで、強靭な石州和紙がつくられる

石州和紙の一番の特徴は、強靭であることだ。その強靭さの理由は、材料と技法にある。材料は地元産の植物である楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の3種であるが、石州半紙は楮からつくられる。楮の靭皮繊維は3種のなかで最も長く絡みやすく、強靭な性質を持っているため、必然的に石州半紙も丈夫になるというのが理由のひとつ。また、楮の皮を削ぐ工程『黒皮そぞり』の際に、表皮と芯に近い白皮の間にある『あま皮』を残すことも強靭さを生む秘訣だ。
あま皮を残すと黄色がかった紙色になるため、一般的な和紙はあま皮を取り除いてつくられる。それに対し、石州ではあま皮を残すことで細く短いあま皮の繊維が楮の長い繊維と絡まりあって補強され、揉んでも濡れても破れにくい石州和紙(半紙)ができあがるのである。「水も大切で、水が酸性だと酸性紙になって保存性や耐久性が下がるのですが、石州和紙に使う地下水は中性なんです。地元の風土に合った紙漉きをして、強靭な石州和紙が生まれているんですよ」
しかし近年、楮の生産者が高齢化し、入手しにくくなっているという。そこで栽培量の増加を目指し、職人自身が栽培に取り組むようになってきた。久保田さんも自ら山に入り、楮を植えている。「楮は植えてから3、4年経たないと使えないので、その間は三椏を使うなど違うやり方も考えていかなくてはいけない状況です」

市内の小中学校、県立大学の卒業証書は石州和紙を使ってつくられている。文化財の表具(巻物や屏風、襖など)の裏打ちなども定期的に注文が入るため、紙漉きはもちろんのこと、材料調達や下準備などの工程もスケジュールに合わせて準備する
漉き舟に水と紙料と補助材料のトロロアオイの粘液を入れ、均等に分散させ、数子(かずし)・調子(ちょうし)・捨水(すてみず)の3段階で紙を漉いていく。工房で働き始めて2年目の久保田家の長女は「この工程が一番難しい」という

使う人が喜ぶものをつくりたい。それがつくれるのが職人である

石州半紙以外にも、石州和紙は封筒や便箋、色紙などのほか、日本画や書道、版画などの芸術作品、そして国宝級の文化財の修復などにも使用されている。「石州の紙は高いかもしれませんが、例えば書画用紙としてなら『好みの滲みが出せる』『墨つきがいい』など、今まで味わったことのない紙だと感じて使われる方が多いんです。それと保存性が高いので、作品を100年、200年、あるいは500年保たせたいという願いも叶えられます」
久保田さんが和紙づくりにおいて大切にしているのは、使う人に喜んでもらえる紙をつくることだ。「僕はデザイナーでも作家でもなく、紙を作る職人です。職人は使う人がいて成り立つもの。だから、その人達に喜んでもらえるものをつくりたい。それがつくれるのが職人だと思っています」

“日本画の先生の紙を作るなら、どういう作風で、どういう形で使われるのかを理解して、想いを込めて作るんです”

漉きあげた和紙はしっかりと水切りした後、紙床台の上に一枚一枚重ねていく。手作業だが、一日250枚前後も漉くことができるそうだ。この後、一晩かけて圧搾機で徐々に圧力を加えながら絞っていく。
石州和紙は照明やお酒のラベルなどにも使われている。久保田さんも透かし和紙、備長炭等を漉き込んだ機能性和紙、染色など様々なものに挑戦してきた。「代々続いてきた久保田の家の作り方を守りながら、新しいものにも挑戦しています」

最近はどこの産地の誰々の紙が欲しいと指定して注文する人も増えてきたという。同じ定番のものをつくっても、良い悪いでなく、それぞれの職人によって微妙な違いがあるからだ。だからこそ、これまで以上に喜ばれるものをつくるための励みになり、原動力になっている。

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