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街の名の由来は源義経が「藁火村」と名付けたという説もあり、古くから中山道の宿場町として賑わっていた蕨市。「日本でいちばん小さな市」としても知られ、隣接する川口市・戸田市・さいたま市へもすぐの距離。また「成人式発祥の地」としても知られています。都心へのアクセスも良く、住宅地としての住みやすさが再評価され、隣駅の西川口と並んで外国人住人が多く集い、異国料理の名店も生まれています。

宿場町として発展した蕨

江戸幕府が開かれて、全国に向けて整備されたのが街道と宿場町。多くの旅人が往来したのが「五街道」と呼ばれる東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道。なかでも江戸・日本橋と京都・三条大橋を内陸で結んだのが中山道。その69の宿場のうち、起点の日本橋から板橋、その次の宿が蕨宿でした。現在の荒川付近は「戸田の渡し」と呼ばれ、渡し船で越えるのが当時の一般的な渡り方で、参勤交代や大水などが起こると大混雑となるなど、渡しと宿は切っても切れない関係だったといいます。
現在、宿場の跡としては「蕨本陣跡」が公開されています。蕨宿を訪れた大名や公家が過ごす場所で、加兵衛家と五郎兵衛家の2家が代々勤めていて、蕨宿の中央部に向かい合うように建てられていたといいます。それ以外はモニュメントなどを残す程度ですが、毎年11月には「宿場まつり」が開催され、パレードでは毎年選ばれる「ミス織姫」「ミス宿場小町」や武将甲冑隊など当時を偲ばせる光景を見ることができます。

江戸時代、街道が整備される中、蕨宿でも大名や公家の宿泊所であったのが蕨本陣。老中水野忠邦や松平加賀守、皇女和宮らが体を休め、明治以降も明治天皇が大宮氷川神社行幸の中で休憩されました。

日本で最初に成人式を開催した街

時代は変わり、町村が合併して1959(昭和34)年に蕨市が誕生。この蕨市から全国に広がったもので有名なものに「成人式」があります。1946(昭和21)年、当時は蕨町だった同地で開催された「青年祭」のなかで行われた「成年式」がそのルーツとされています。戦後の混乱期、これからの時代を担う青年たちを励ますために、埼玉県蕨町青年団長を中心に行われたもので、町長や来賓の祝辞などが贈られました。蕨市の成年式をきっかけに、1949(昭和24)年には「成人の日」が国で制定され、全国に成人式が一般化しました。現在も蕨市では「成人式」ではなく「成年式」の名前で開催されています。また1979(昭和54)年の成人の日には、市制施行20周年と、成人の日制定30周年を記念して蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が設営されました。

室町時代にこの一帯を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城の守り神として八幡神を勧請したのがはじまりと言われています。神社隣の蕨城跡は、江戸時代には鷹狩り用の休憩地としても使われました。

宿場町から多国籍タウンへの変貌

全国的に街の人口が減っているなか、蕨市は都心へのアクセスの良さもあって人口が微増中です。そこには団塊ジュニアから下の世代を中心としたファミリー層も多いのですが、蕨市と隣接する川口市で近年話題になっているのが外国人住民の増加。蕨市は1990年代からトルコ系クルド人が多く住み始め、通称「ワラビスタン」と呼ばれるほど。また川口市には高度経済成長期に賑わった団地に、高齢化とともに空き部屋が生まれ、そこに本国から渡ってきた中国人が増加。蕨市に近い西川口駅の周りは、中華料理を中心としたエスニック料理店がいっぱいです。わざわざ都心に出なくても本格的な多国籍料理が食べられると、耳の早いグルメの間で話題になっています。かつての宿場町だった街らしく、様々な人種が集う街になっている蕨市。昔ながらの住宅街と、新しい波が起こすうねりがこの街を活性化させています。

【取材を終えて】(ライター:大坪ケムタ)
駅を降りて感じるのは、いたってどこにでもある郊外の街。しかし、五宝さんという世界クラスの職人がいて、そこから出てくるパッと見では気づかなかった蕨の人々の姿。都心に店を持ちながらも、五宝さんがこの街を選ぶ理由がわかった気がしました。多国籍な料理を楽しめるところといい、目では見えないカラフルさがあるんですね。

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