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三重県北部、木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)によってできた濃尾平野の境に位置し、愛知県と岐阜県に接している桑名市。江戸時代から東海道五十三次の宿場町として栄え、現在は名古屋市のベッドタウン、そして主要国道や主要幹線が集中する交通の要衝として発展を続けています。機械・金属系を中心とする工業都市であると同時に、日本有数のテーマパークをはじめ豊かな観光資源に恵まれた県内屈指の観光都市として多彩な「顔」を持っています。

豊かな自然に恵まれた交通の要所

木曽三川や多度山の雄大な自然に恵まれ、交通の要衝として栄えた歴史や文化が数多く残る桑名市。市名の由来は、桑名の開発の祖である豪族の「桑名首(おびと)」から取られたとする説が有力です。現在の桑名市に当たる地域は、平安時代から商業面・文化面において上方文化圏と東日本文化圏の接点として機能していました。
1889(明治22)年に市町村制度が導入されて以降、何度かの合併を経て桑名市・多度町・長島町が成立。2004(平成16)年12月にこの1市2町が合併し、新「桑名市」が誕生しました。伊勢平野と濃尾平野の境にある木曽川、長良川、揖斐川の河口に位置しており、北西部には三重県と岐阜県の境目を形成している養老山地、南東部には伊勢湾が広がります。また、伊勢神宮の玄関口の役割を果たすように「一の鳥居」が設置されています。
気候は1年を通して温和ですが、夏には雨が多く湿気が強くなるという太平洋側気候独特の特徴があります。さらに、冬には雨が少なく乾燥気味の日が多いなか、ときに鈴鹿山脈を通って雪雲が流れ来た際は大雪に見舞われることもあります。

東海道の尾張熱田の宮と桑名には宿場が設けられ、その間の海路七里(約28km)を七里の渡(しちりのわたし)として船で結んでいた。ここより伊勢路に入ることから、大鳥居は「伊勢国一の鳥居」と称されている。

恵まれた地理的条件を生かして発展

室町時代、桑名には商人たちによって支配勢力から自立する性質を持つ自由都市が形成されるようになり、日本でも有数の商業や海運の中心地として発展していきます。戦国時代には一向宗の大きな拠点を築き上げましたが、織田信長と対立し自治領が崩壊、多度大社の本宮や真言宗の宝雲寺をはじめ多くの寺院が焼かれました。江戸時代に入ると東海道五十三次で42番目の宿駅として桑名宿が栄え、日本有数の穀倉地帯である伊勢平野と濃尾平野の間にある利点を生かして、米の集積や米相場の商いなどが始まります。このように桑名市は地理的条件を生かし、商業や産業の拠点として発展を続けてきました。

六華苑は二代目諸戸清六(もろとせいろく)の邸宅として1913(大正2)年に完成。ジョサイア・コンドルによる設計で、和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な文化遺産であり、国の重要文化財に指定されている。

多彩な観光スポットも桑名の魅力

桑名の浜から沖合にかけては木曽三川の淡水と海水がほどよく混じり、貝や海苔・白魚などの漁場として古くから知られていました。なかでも、はまぐりは「浜の栗」と呼ばれるほど色・艶が良くふっくらとした大きな実が特徴で、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場します。産卵前の大きなものを選び、しょうゆで煮しめてつくる「しぐれはまぐり」も桑名名物のひとつ。幕府にも献上された桑名盆(かぶら盆)や戦国時代から始まったといわれる鋳物など、歴史ある工芸品も名物です。
約40台もの祭車が一堂に会して鉦や太鼓を打ち鳴らす春日神社の石取祭(いしどりまつり)は「日本一やかましい祭り」として知られ、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。そのほか、国の重要文化財に指定されている六華苑(ろっかえん)や北伊勢地方の総氏神様として崇められている多度大社、絶叫マシン「スチールドラゴン2000」があるナガシマリゾートなど、観光名所にも事欠きません。

【取材を終えて】(ライター:渡邉陽子)
歴史あり、産業あり、自然あり、そして観光あり。桑名市は知れば知るほど多彩な魅力を持っていて、しかも通勤やショッピング先でもある名古屋まで電車で約20分という利便性。過疎化や少子高齢化に伴う産業の衰退や人口減少、伝統工芸の消滅危機に悩む地域も少なくないなか、桑名市は今後もその魅力を存分に生かして街の魅力を発信していくのでしょう。

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