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日本を代表する港町であり、日本の市区町村では最も人口が多く、その数は370万人を超えるほど。18区の行政区から成る政令指定都市で、総面積は県内一です。都心部には大手企業が数多く本社を構えており、郊外部は首都圏のベッドタウンとして発達。みなとみらい、横浜中華街、赤レンガ倉庫、元町などの観光スポットが点在し、足を伸ばせば鎌倉や湘南など行楽地も間近にあるなど、働きやすさと住みやすさが共存した都市となっています。

国際港として開かれた異国情緒ある都市

葛飾北斎が富嶽三十六景で『神奈川沖浪裏』を描いたように、古くから江戸湾内海交通の要衝として栄えてきた神奈川湊(現在の横浜市神奈川区)。1858(安政5)年の日米修好通商条約締結によって、神奈川の開港が決定。東海道に直結していた神奈川湊の対岸にあたる地を国際港とし、1859(安政6)年に横浜港として開港されました。その後、港周辺を中心に都市開発が本格化し、外国人居留地が定められ、欧米諸国やアジア諸国の商館や銀行などが立ち並びました。横浜中華街は、そのなかにあった中国人商館を発端に広がっていったといいます。
幕末から明治の近代化を牽引し、1869(明治2)年には電線が敷かれ、1870(明治3)年に日本初の日刊日本語新聞となる『横浜毎日新聞』が創刊。1872(明治5)年に新橋・横浜間に鉄道が開通するなど、文明開化を体現しました。現在もその名残りは色濃く、異国情緒漂う魅力的な国際都市となっています。

山手に位置する横浜外国人墓地は、1853(嘉永6)年のペリー提督率いる黒船来航の翌年、艦隊に在籍していた24歳の乗組員ロバート・ウィリアムズの墜死に際し、江戸幕府に「海の見える地」へアメリカ人用の墓地を要求したことに端を発する。以降、幕末から明治の横浜発展の礎を築いた人たちの墓地として、40数ヶ国の外国人約4,800人が安らかに眠っている。

未来へ向けた都市づくりを推進

その後、戦前・戦中の工業都市として成長し、戦後はGHQによる接収を経て、復興が始まると大都市へと発展。1956(昭和31)年の制度開始当初から政令指定都市に指定され、都市基盤の整備とニュータウン開発が急速に進められました。時代が平成に入り、1989(平成元)年には市制100年と開港130年を記念して横浜博覧会を開催。同年にベイブリッジが開通し、1990(平成2)年からはみなとみらい21地区の開発が本格化。1994(平成6)年には現在の18の行政区に編成されました。近年ではコンベンションやトリエンナーレなど国際的なイベントも数多く開催され、横浜スマートシティプロジェクトやライフイノベーション国際総合戦略特区を始動させるなど、環境性や経済性に秀でた未来型の都市施策を推進しています。
市内には東海道新幹線をはじめ、JR、東急、京急、相鉄、市営地下鉄や新交通金沢シーサイドラインなど鉄道・地下鉄各線が運行。首都高速や第三京浜、横浜横須賀道路、横浜新道といった道路も張り巡らされ、東京への通勤・通学、各地の行楽にと交通網も充実しています。

山下公園は1930(昭和5)年に関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などから埋立て、造成された公園。戦後はアメリカに接収されたものの、段階的に返還され、1961(昭和36)年には現在の姿に近い形で再整備されている。「赤い靴はいてた女の子像」「インド水塔」など記念碑が点在し、横浜港やベイブリッジなど横浜を代表する風景が一望できる。

住みたい街ランキングで根強い人気

リクルート住まいカンパニーが発表する「みんなが選んだ住みたい街ランキング関東版」では毎年上位にランクインし、2018(平成30)年には第1位となるなど、首都圏でも根強い人気を誇っています。横浜駅周辺には各商業施設が立ち並び、横浜中華街、元町、みなとみらいなど各エリアに観光スポットも点在。鎌倉や湘南、箱根など行楽地にも近いのも魅力的です。優良企業も本社を構えるなど、近年、人気が高まる「職住近接」が無理なく叶えられ、余暇を過ごすにも適した都市としては、最良の選択肢といえるでしょう。

【取材を終えて】(ライター:大矢幸世)
横浜は首都圏でも人気の高い都市。「ハマっ子」と呼ばれるように、生まれ育った人の誰もが誇らしげに語る横浜は、やはりそれだけの魅力があるものです。エリアによって、都会的な街や下町風情残る街、閑静な街とよりどりみどり。どう過ごすかはいくらでもイメージできそうです。

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