地域のいいヒトいいモノ、いいコト見つかる
ヒトコト・モノコト

MENU

Back

埼玉県の南東部、県庁所在地のさいたま市と隣接する川口市は、県内第2位の人口数。荒川をへだてて南端を東京都と接しており、交通アクセスも良好。都心のベッドタウンとして発展しつづけてきました。2018年4月に中核市へ指定され、ますます行政機能も充実。かつての「キューポラのある街」は洗練され、幅広い年齢層や多様な世帯が暮らしやすい魅力的な街となり、2015年から3年連続首都圏の新築分譲戸数第1位を記録するなど注目が集まっています。

かつては日光へ続く宿場町として栄えた
荒川の北岸に広がるおよそ62立方キロメートルの領域からなる埼玉県川口市。「川口」という地名の由来は、「荒川の河口」に位置していたためと伝えられていますが、『義経記』によると1180(治承4)年、源義経が兄頼朝の挙兵に際し、鎌倉へ向かうところ、「武蔵国足立郡小川口に着き、兵を閲したところ八十五騎になっていた」と、その名が記されています。
江戸時代になると、そのほとんどが幕府直轄領となり、幕府によって計画的な市街地形成が行われました。灌漑(かんがい)治水が行われ、その広域を農地として整備。また、1617(元和3)年以降、徳川家康の霊廟が日光へ移されたのに伴い、日光御成道が整備され、その宿場として「川口宿」が開かれたことで、宿場町として栄えることとなりました。
キューポラのある街も今や都心のベッドタウン
1910(明治43)年には川口町駅(現在の川口駅)が開業。1932(昭和7)年には東北本線(現在のJR京浜東北線)赤羽―大宮駅間が開通。翌1933(昭和8)年に県内では川越市につづく2番目の市制施行となる形で、川口町、横曽根村、南平柳村、青木村が合併して川口市が発足。それに伴い駅名も「川口駅」と改められました。
江戸中期から盛んになった鋳物工業は大きな地場産業となり、明治末期から昭和中期にかけて川口市は「鋳物の町」として全国に名を馳せていました。吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」(1962年)で活気ある川口市の姿をご覧になった方も多いでしょう。1964年の東京五輪では、旧国立競技場に掲げられた聖火台を鋳造しました。近年では工業地域は縮小傾向な一方、宅地開発によって市街地は拡大し、人口は増加の一途をたどっています。市内にはJR京浜東北線とJR武蔵野線、埼玉高速鉄道の3路線が通り、川口駅から東京駅まで23分、新宿駅まで17分。また、川口JCTから日光まで車で100分、江ノ島まで90分と、レジャーにも最適。抜群の交通アクセスを誇っています。
首都圏の新築分譲戸数No.1 誰もが認める暮らしやすさ
川口駅周辺には川口そごうをはじめ、図書館など公共施設を併設する「キュポ・ラ」など商業施設が集積し、「川口総合文化センターリリア」や、それに隣接する「リリアパーク(川口西公園)」があるなど、老若男女問わず遊べる憩いの場が多数あり、土日には家族連れで大いに賑わいます。また、「川口オートレース場」や「川口市立グリーンセンター」、「SKIPシティ」などレジャー施設も充実。首都圏の行政区の中で、2015、2016、2017年の3年連続、新築一戸建て住宅・新築マンションの行政区別分譲戸数第1位を記録。住みやすさにおいて、多くの方から支持を受けている事実が明らかとなっています。荒川河川敷をはじめ、街に点在する豊かな緑、暮らしやすい住宅街に、都会の利便性……心地よく暮らすための要素をバランスよく兼ね備えた魅力的な場所と言えるでしょう。

【取材を終えて】(ライター:大矢幸世)
都心から近いとは聞いていたものの、南北線から埼玉高速鉄道に接続し、乗換なしで目的地へ到着。あたりは閑静な住宅街、スーパーや飲食店が点在し、とても住みやすそうな印象を覚えました。川口市内でも駅によって街のカラーが異なり、どの街を選ぶかによっても暮らしかたが変わってきそうです。
特定商取引法に基づく表記 個人情報保護方針