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2019.12.04
万年筆とは
高価な上に、手入れを怠るとインキが詰まってしまう万年筆。現代に即している筆記用具とは言いがたいかもしれないが、万年筆の放つ気品と圧倒的な存在感は、人々を惹きつけてやまない。そんな万年筆の専門店が東京都文京区にある。修理できない万年筆はなく、オリジナルも製造するという川窪克実さんは、知る人ぞ知る日本随一の万年筆職人。小さな店舗と工房には、果てしなく大きな可能性が広がっていた。
万年筆
「胴内に保有するインキがペンポイントを溶着したペン先に自動的に伝わる機構を持つペン」と定義される。2つに割れたペン先から生まれるデリケートな書き味が特徴で、メンテナンスを行うことで半永久的に使用できる。使う人の癖によってペン先の形状が変化するため、使うほど持ち主になじみ、書き心地が良くなる。
ライター 渡邉陽子

製造、修理、販売を一手に担う実力

大通りから1本入った路地。民家と商店が混在するのんびりとした通りの一角に、万年筆の製造・修理・販売を行う川窪万年筆店がある。速足で歩いているとうっかり通り過ぎてしまいそうな間口の小さな店だが、ここの3代目店主である川窪克実さんの名は、テレビや映画業界、万年筆愛好家には広く知られている。
既製品の万年筆なら店頭でペン先を調整して好みの字幅や書き味にして販売するというスタイルは、今や世界的にも希少だ。修理依頼は19世紀以降のあらゆる万年筆(メーカーに「修理不能」と言われたものも含め)を受け付ける。さらに、伝統技巧と最新技術を融合させてオリジナル万年筆の製造も行っている。つまり、万年筆に関するあらゆることを頼れるスペシャリストというわけだ。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリンピック噺~』の劇中で使用される万年筆は、川窪さんが明治~大正~昭和の各時代に合わせて1から製造したり、現存する当時の万年筆をリフィニッシュ(再塗装)したりして何十本も用意したものと聞けば、その知識と確かな腕前は容易に想像がつく。
しかし、昔は家業を継ぐつもりはなく、大学卒業後は一般企業に就職した。

「自分の代で強みとなったのは木を削ること」と川窪さん。軸からペン先まで一体型のユニークな万年筆は竹でできている。「従来の形から抜け出た形のものがあってもいいんじゃないかな」という職人の遊び心がうかがえる。

会社員が万年筆職人になるまで

川窪万年筆店は1926(昭和元)年、川窪さんの祖父に当たる初代が早稲田界隈で、学生や大学教授向けに万年筆を製造・販売したことから始まる。その後、小石川林町(現店舗の文京区千石)に移転し、同じ町内の菊池寛、宇野千代、川端康成の『雪国』を英訳したサイデンステッカーなど、そうそうたる面子の愛用品の修理・調整を手がけた。川窪さんの父である2代目は、パイロット社の大型蒔絵万年筆の開発に携わった。
祖父と父が築き上げた川窪万年筆店というブランドは、その確かな技術と丁寧な仕事ぶりで各方面から信用を得た。川窪さんは幼い頃から父の働く工房に入り浸っているうちに、自然と旋盤を扱う技能やノウハウを身につけていった。先代もわが子の手先の器用さ、ものづくりへの探求心を買っていたのだろう、川窪さんが高校、大学生の頃は積極的に仕事を手伝わせた。
「それでも僕に後を継げと言わなかったのは、万年筆だけで食べていくのは、この先厳しくなるという思いがあったからかもしれません」
しかし2代目が急逝、状況が変わった。店を閉じようかという話にもなったが、川窪さんには既に万年筆に関するスキルがある。思い切って脱サラし、3代目となった。
「昔から機械いじりが好きだったということも後押ししました。けれど父から全ての技術を継承していたわけではなかったので、最初は『これ、どう修理すればいいんだろう?』という万年筆も少なくありませんでした」
試行錯誤しながら自分なりの研究を進める日を重ねるうち、気がつけば先代たちと肩を並べる、押しも押されもせぬ万年筆職人となっていた。

ガラスのペン先は独特のなめらかな書き味が魅力。ペン先をインクに浸し、ペンを少しずつ回しながら8本の溝に入ったインクすべてを使うと、驚くほど長く書き続けることができる。方向性がないので左利きにもやさしい。

全てを自己完結できる日本唯一の職人

万年筆の製造は、店舗の裏にある工房で始まる。まずは軸になる素材を大型旋盤で円筒形にし、それを小型旋盤で細かく削り、バフ研磨で表面に光沢を出す。軸になる素材は、万年筆によく使われるエボナイトという黒褐色の硬質ゴムのほか、木もよく用いる。
「エボナイトが登場する前の軸は木が中心だったので、原点回帰ですね。お客さんからリクエストがあって削ってみたら、これが面白くて。今や工房には世界中の木の端材があり、ちょっとした銘木コレクターですよ」
また、ボタンを固めて削り出して軸にするといった独自のマテリアルづくりにも力を入れている。
成形後は店舗に移動し、ペン先を取り付けるなど部品を組み立てていく。ものによっては漆も塗るが、それも川窪さん自身で行う。

削ってならして磨いて光沢を出す、これが万年筆づくりの基本工程。小さな工房にところ狭しと並んだ旋盤などの機材や工具の用途は、父である2代目の仕事を手伝っている頃に身についた。川窪さんならではの万年筆はここから生まれる。
ボタンやナノブロックなど、さまざまなアイテムを軸の素材にすることの面白さにはまっているという川窪さん。「これも使えるかも」と思う素材を集めているので、店舗の棚の引き出しはさながらおもちゃ箱のよう。素材持ち込みのオーダーメイドも可能。

修理の依頼も全国から届く。川窪さんはあらゆる万年筆の素材や構造を理解しているだけでなく、破損・不足しているパーツも自作できるから、どんな製品にも対応可能だ。時間が経つと変色するというエボナイトの短所も、独自技術で元の色を再現できるようになった。
左利きの人が既製品を買いに来たら、その場で調整するのも川窪さんにとっては朝飯前のこと。右利きがペンを引っ張るのに対して左利きはペンを押す形になるので、紙に引っかかりを感じて書きにくい。そこでペン先を研磨して角度を調整し、紙への抵抗感を軽減させるのだ。研磨の前には本人に字を書いてもらい、万年筆の持ち方や筆圧から削る量や角度を見極める。ほんの少し書いてもらうだけでわかるので、筆跡鑑定の依頼がくることもあるそうだ。
「修理に関しては、『直せません』は言わないのが信条です」

ユーザーの持ち方、書き方の癖に合わせてペン先を削る技術は一朝一夕にできることではない。店で市販の万年筆を購入した人にも、その場でその人にベストな書き味にすぐさま調整する。その書き心地を知ると、自分用にカスタマイズされた万年筆にはまる。

伝統を尊重しつつ新しいものにも寛容

川窪さんにとって、万年筆とは「書く道具の王様」だ。
「筆記道具の頂点に立っているのは万年筆でなければならない、という思いがあります」
装飾がかなり凝った万年筆も手がけるが、常に心がけているのは、「筆記用具としての実用性を必ず持たせるということ」だという。
万年筆職人に向いているのはどんな人か尋ねてみた。
「万年筆が登場したのは19世紀と歴史が浅いので、まだ改良の余地があるはずです。だから、先人が苦労してつくってきた素材や優れた技術はそのまま生かせばいいですが、素材の欠点を補える手法や新たな材料が見つかった場合は、積極的に取り入れるべきです。ということは、古いものも新しいものも受け入れられる人が向いているのではないでしょうか。これは現代のどの分野の工芸家にもいえることかもしれません」
文京区で昭和、平成、令和と続いてきた家業。継いだことを後悔したことはない。
「『文の京』だけあって、作家先生が多かったこの土地には愛着があります。この店の並びには、村上春樹さんも住んでいたんですよ。地元の方からの修理依頼も多く、文京区は万年筆の利用率が高いと感じます」
川窪さんはこれからもこの地で、飽くなき探求心を常に抱きつつ、万年筆と向かい続ける。

10数年前に作った、メキシコアワビが軸の全面に貼り付けられた万年筆は、ユーザーが長年愛用してくれている。今はちょうど吸入の修理を頼まれ預かっているところ。一見、貝が手に当たって痛そうだが、貝を絶妙に削り出しているのでまったく違和感はない。
【取材を終えて】(ライター:渡邉陽子)
万年筆の技術的なピークは1950~60年代で、技術もお金も惜しみなく投資され、実用性がありながら工芸品としての逸品が数多く生まれたそうです。以降はコスト重視の方向に進んでしまったのですが、それがハンドメイド製品の生まれるきっかけになりました。筆記用具の絶対王者といった風情のある万年筆、知れば知るほどはまる気がします。

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