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2019.11.01
靴職人とは
世界の名だたる高級メーカーの靴から、近所のおばちゃんのパンプスまで「どんな靴でも作りますよ!」と快活な笑顔で答えるGRENSTOCKの五宝賢太郎さん。師匠の元で職人としての腕を磨いつつ、合間を縫って靴磨きのバイトをしていた下積み時代を経て、オーダーメイドから修理まで手がける憧れのヨーロッパ式の靴店を出店。さらに六本木に2号店を出店した今も、五宝さんは今日も工房で靴を作り続ける。
靴職人
現在では大型店舗で大量生産されたものを選んで履くのが、一般的な靴との付き合い方。しかし、かつて靴は職人によるオーダーメイドが中心で、傷んでは修理して再び履くというのが当たり前だった。さらに現代の靴職人は昔ながらの革靴からスニーカーまで、それも新素材を取り入れるなど新たな知識と確かな腕前で現代の靴を誕生させている。
ライター 大坪ケムタ

子どもの頃ティッシュ箱で靴をつくった

五宝さんの靴づくりの最初の記憶は「小学校3年生の夏休み自由研究」だと言う。ティッシュケースに新聞紙を丸めて、ロケットみたいなのをつけてつくったのが最初の靴づくり。「それを先生が褒めてくれたのが嬉しくて、自作で靴をつくり始めたんですね」。
それから徐々に靴の構造を自ら学ぶようになり、画用紙とホチキスで多面体の靴を制作。さらに紙では飽き足らず、父親の革ジャンを勝手に切って、ソールはタンスの滑り止めを利用したブーツをつくり上げた。その後、お父さんからはしっかり怒られたそうだが。
そんないきすぎた趣味から、本格的に靴職人を目指すきっかけとなったのが、バスケットボール部時代の怪我。
「ずっとバスケットボールに夢中だったんですけど、高校のときに足を粉砕骨折してしまったんです。それでバスケは諦めたんですけど、先生が怪我の説明するのを聞いて、足の構造に興味を持ったんですね。そこに、ずっと好きだった靴がリンクして、本気で靴づくりをやってみようと思ったんです」
靴職人を目指して、茨木大学のプロダクトデザイン科に入学するも、学校には靴づくりについて教えてくれる人はいなかった。そこで弟子入りしたのが埼玉県蕨市の靴工房「時代屋」の稲村有好氏。
「それまで自作でつくってたんですけど、もうケチョンケチョンで(笑)。木型の存在も知らないでつくってましたからね。それから一日も休まず働くんですけど、月で4万円くらいしか稼げなかったんで、夜は赤羽まで自転車で行って靴磨きをしてました。それで晩ごはんを食ってましたね。それでも靴に携わって生きれることが幸せでしたね」
師匠のもとで靴づくりを学んでいくうちに、徐々に靴のオーダーメイドも頼まれるようになった五宝さん。そんななかで稲村さんが急逝。そのお店を継いだのが現在の店「GRENSTOCK」だ。

蕨市の店舗兼工房に入ると、見渡す限りの靴。ショーケースに飾られている靴も売り物ではなく、それを参考にオーダーメイドの話を進めていく。ある物から選ぶのではなく、その人の欲しい靴を作る店ならではの雰囲気だ。

高級ブランドもおばちゃんの靴も同じ

五宝さんが自らの店を開くにあたってイメージしたのは「ヨーロッパスタイルの靴屋」。店頭に値段がついた靴が並ぶことはなく、看板もなく何の店かもわからない。靴がほしい人、靴を直してほしい人が店に立ち寄って、お店の人と話して初めて商売が始まる。
日本では珍しいそんな店構えだったが、稲村氏のもとで磨いた腕は何より確かで、たちまち評判に。現在、企業相手の仕事としては、世界の名だたる大手2メーカーと契約。うち1社の有名ブランドにおいては日本唯一の職人だ。また最近では、テレビドラマ『陸王』で使用されたスニーカーなど、主役と並ぶ靴のオーダーメイドも行っている。
「かと思えば、『今度ずーっと私が思いを寄せる人が来るから、その人のためだけに履きたいの!』っていう近所のおばちゃんの靴もつくったりするんですよ(笑)。それぞれの“思い”がこもったものをつくるのが楽しいんです。エルメスの靴も、おばちゃんの靴も、そこに差はなくて、僕にとってはどちらも尊い」
また、靴のリペアにも力を入れている「GRENSTOCK」。五宝さんからすると、世界の様々な靴の中身を見ることができるのがワクワクするのだと言う。
「只で世界の靴のなかが見れるなんて、たまらないですね(笑)。リフォームではないので、10から7くらいにすり減った靴を元の10に戻すのは無理なんですね。履き皺とか取れないものもありますから。だから一度ソールを剥がしたりして、4とか5の状態にして、そこから9まで戻す。その辺がリペアの醍醐味だったりします」

オーダーメイドの中には映画やドラマの小道具もあり、手前は五宝さんが監修したテレビドラマ『陸王』に登場した足袋型シューズ。奥はプロレスが大好きというお客さんの希望に応えたマスクマン風の革靴だ。

こういった形のシンプルなシューズ作りが五宝さんのルーツ。父親が履いていたワラビーを見てティッシュケースで作った靴が、父親の革ジャンを勝手に切って作った靴になり、本格的な靴へと変わっていった。

職人というよりはクラフトマン

最近「職人」と言われる世界でも、昔ながらの師弟関係は薄くなっている傾向があるが、師匠の稲村氏のもとで靴職人の弟子の生活を続けた五宝氏。2年くらいで初めて外部からのオーダーメイド品を迷いながらもつくり上げた。その後も壁という壁にぶつかり続け、納得はしないまでも最後までつくり上げられるようになるまでには3年を要した。
「納得する作品てのはなかなか難しいです。例えば小学校の頃つくった靴が最初ですけど、それは僕のなかでいまだに未完のものだったりするんです。なので、それこそ55か60歳ぐらいになってから、ゆっくり地に足つけて自分の納得するものをつくる準備をやっている感じです」
オーダーメイドというと革靴のイメージだが、スニーカーも多く手がける五宝さん。最新素材や3Dプリンターといった新手法にも常に着目し、海外へもたびたび研究の旅に。そんな五宝さんは自分のことを「職人というよりは『クラフトマン』だと思うんです」と言う。依頼に応じて淡々と一定のレベルものをつくり上げるのが職人だとしたら、「自分はもっと『お母さんのつくる昼ごはん』みたいな感じ(笑)」と笑う。
「それがクラフトマンシップかなって思うんです。イギリスのクラフトマンって、4時に仕事が終わってビールをがぶ飲みするんです。そのために『自分はこれだけやったぞ!だから早く帰りたいぞ!』ってアピールするんで、すごい我が強いんですよ(笑)。だから作品も我が強くなる」

店の中に飾られたアイテムの中には、五宝さんのユーモア心で作られたものも。これはケリーバッグと靴を合体させた「kerry's boot pump!」で、2008年の「ジャパンレザーアワード」でデザインクリエイティブ賞を受賞。

職人の街に暮らし靴づくりに「没頭」

元々師匠の店があるということで住むことになった蕨市。実は戦後、浅草から多くの靴職人が引っ越してきた地域で、それ以外にも多くの有名無名の職人が住んでいるという。そんな五宝さんに座右の銘を聞いてみた。「毎年、書き初めをするんですけど、今年は『没頭』ですね。サッカーとかバスケット、野球って、一生懸命つらい練習を乗り越えるっていう人よりも、ただただ没頭する人が上手くなるじゃないですか。没頭した者勝ちだと思うんですよね。努力を苦としないようにしていけたらな」
最後に、あらためて五宝さんに「なぜ、靴に熱中し続けられるのか」を尋ねた。
「大学でプロダクトデザインを勉強してたとき、ぐい飲みからクルマまで学んでみたんですが、靴がいちばん計算できないんです。歩いたり、お酒を飲んだりで足のサイズが変わったりする。でも、その人の身体にいちばん長く触れてるのが靴じゃないですか。日常使うものなのに計算ができない、だからこそ追求しがいあるんです」

工房には現在弟子が5人。靴修理専門の六本木店からの注文もあり、工房に来る仕事は引きも切らない。かつて五宝さんが師匠から靴作りの技術を学んだ蕨市のこの場所から、また新たな職人が生まれていく。

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