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2019.02.06
下町切子とは
切子といえば江戸時代から続くカットグラス技法であるガラス細工「江戸切子」が有名だが、鎌倉谷戸の工房・高山(こうやま)正巳氏によって生み出されたものが下町切子。多彩なニーズに応えることができる下町切子の技法の自由さは“21世紀の切子”と呼ぶにふさわしい。55歳で脱サラして下町切子を生み、サラリーマン時代の考えを活かして、作品を全国に届けているという高山氏の生き方は、第二の人生を考えている人たちの手本になるはずだ。
下町切子
多彩なデザインを描くことができるサンドブラスト技法と、美しい立体感を生み出す鎌倉彫りの技術を組み合わせたのが下町切子。伝統的で鋭角なイメージのある江戸切子などに比べ、透明なガラスに彫られた花や果実などの造形は、自由度も高く光の当て方によって存在感を変えるのが特徴。漆塗りのガラスなど、素材によってより深い味わいを醸し出す。
ライター 大坪ケムタ

入口は広いけれど奥が深いガラス彫刻

55歳でそれまで務めていた製薬会社を退職した高山さん。辞める直前までガラス彫刻はあくまで趣味だった。最初は江戸切子くらいしか知らなかったのが、色々と調べていくうちに、様々な図型を取り入れて手軽につくれるサンドブラスト技法に魅力を感じた。
「技術的に何年も下積みをやってからでないとできないことをこの歳からやるのは難しい。ガラス彫刻は『道具があれば誰でも描けるけど、一流になるにはそれなりの年数がかかるよ』っていう世界なんです。その『入口は広いけれど奥が深いよ』みたいなところに興味を持ちましたね」
江戸切子はグラインダーを使ってガラスに模様を刻んでいき、刃の粗さをどんどん細かくしていくことで透明な美しい模様をつくる、まさに職人の世界。それに対してサンドブラスト技法は、ガラスに描きたい模様の部分にだけ穴が開いたシールを貼り、その部分だけに砂を吹きつけて削り取る手法で、デザインの自由さが魅力だ。
ただ、高山さんはそれだけで終わらない。奥様の実家であった鎌倉に住んでいるとき、義理の父が鎌倉彫りの免許皆伝という腕前だった。鎌倉彫りとは、カツラやイチョウといった木に草花などの文様を彫り、漆を塗った工芸品で、その歴史は鎌倉時代にまで遡る。
「みんなと同じことやってもつまらないじゃないですか。せっかく鎌倉に住んでいるんだから、鎌倉彫りの技法を取り入れたら面白いなと思ったんです。それでカミさんの父親から鎌倉彫りの基本的なノウハウを教えてもらって、その技法でガラスを彫ってみました」。それが“下町切子”誕生の瞬間だった。

ガラスに咲いたバラの花。透明の花瓶、漆塗りのグラスなど、彫る素材によってその美しさは彩りを変える。このバラの花瓶を彫るのにひとつ約10時間かかる。何十個と注文がきても同じ品質のものを掘り続けるのが職人の腕だと高山さんは言う。

火事で居酒屋断念からの再起

高山さんがガラス彫刻を退職後の職にしようと思ったのは、文京区根津の実家が空き家となることがきっかけのひとつだった。最初は彫刻体験ができてビールが飲める居酒屋を始めることを決意し、退職金の大半を使って店を建て、当時少なかった東京の地ビールを売りにすることも決定。すべては順調に行くはずだった。
「2月の誕生日に退職して、3月に店をオープンしたんだけど、5月の連休に隣の家からのもらい火で焼けちゃった。退職金の大半をつぎ込んだ店がパーになったから目の前が真っ暗ですよ。しかも、もらい火って、出火元には賠償責任がないそうなんですね。だから出火元からは1円も入ってこない。出火元の主人は入院先からそのままトンズラ(苦笑)」
そんな最悪のところからスタートすることになった、退職後のセカンドライフ。しかし、そこから高山さんのアイデアとそれまでの人脈によって第二の人生が息を吹き返す。
「根津でやるっていうんで“下町切子”って商標を取っていたんです。その直後ぐらいに、NHKの大河ドラマの記念品の依頼がきて、それから毎年、大河ドラマの記念品をつくらせていただいています。そのきっかけは、うちのカミさんが勝海舟の子孫だったことなんですよ。そういう縁もあって幕末関係のものをつくったんですけども、各地から竜馬のグラスや勝海舟のグラスとか、幕末ものの依頼がくるようになったんです」
先祖の縁をきっかけに下町切子の名は全国に広まりだした。

サラリーマン時代の考え方を活かす

鎌倉時代から続く歴史ある鎌倉彫りと、サンドブラスト技法を組み合わせた新しいガラス彫刻である下町切子。その新しさには技術だけでなく、高山さんのサラリーマン時代の経験も生きている。
「製薬会社で管理部門にいるとき、提案制度みたいなものがあったんです。コストダウンのために乾いた雑巾を絞り出すようにして、『アイデアを出せ』と言われるわけです(笑)。だから常に何か新しいことができないかというクセはついていました」
切子をつくるには当然デザインが必要になる。歴史ある工芸なら定番のニーズがあるが、歴史の短い下町切子は「新しい定番」を考え続けなければならない。そのために、デザイナーに依頼して切子用の絵をつくってもらい、それを使ったグラスが売れるたびに5%のデザイン料を支払うシステムを取り入れている。
また、先の幕末関係のデザインも、公式の記念館の仕事をすることから広がる仕事も多く、現在、高山さんは鹿児島の城山ホテルへ西郷隆盛をモチーフにしたグラスを納品している。
下町切子はオーダーメイドの品にも向いている。サンドブラスト技法は偉人の顔や手書き文字に限らず、家族写真や手書きの絵などをガラスに刻むこともできる。そのため結婚式や産院などへ、様々な記念のタイミングに笑顔を咲かせる品を届けている。

グラスに自由なデザインを描けるサンドブラスト技法。もともとアメリカで広まったといわれる技法で、日本に伝わってからの歴史は短い。機械さえあれば手軽にできるゆえにデザイン性が問われる。サンドブラストで描いた絵を彫っていくのが高山さん流だ。
葉っぱやブドウの粒を小刀で掘る下町切子。同じデザインでも、彫る深さが違えば光にあたったときの陰影が変わってくる。ひとつを勢いで彫るだけなら誰でもできても、いくつものグラスを同じ深さまで均等に彫るレベルになるまでは難しい。0.01ミリの世界だ。

全てはお客様の笑顔のために

グラスなら水を飲んだり、花瓶なら花を挿したりと、その美しさゆえ部屋のインテリアとして飾る役割にもなる下町切子。しかし、高山さんは「日用品プラスアルファの喜び」として使ってほしいと言う。
「手に取った人がにんまりするもの。水を飲むだけならただのコップでもいいけど、ちょっとこんなの持っていると面白いな、って思うじゃないですか。それだけの価値でいいんじゃないかなと思いますね」
だからこそリーズナブルな価格で日常使いしてほしい。グラスは、制作途中で気泡が入ってしまい半値で売られている“B級品”を仕入れて、その気泡の部分をデザインとして彫った品もよくつくる。そうしたコストダウンも含めて「お客さんも喜んでくれるもの」をつくることこそが一流の職人だと高山さんは考える。
「アーティストと職人との違いですよね。アーティストは周りがそれを認めるか認めないか。だから、世界的に有名な絵描きさんでも現役のときには全然売れなくて死んでから有名になることがあるけど、職人は今のお客さんありき。お客さんの要望を『はい喜んで!』って、自分の技術をそこに100%注ぎ込めるのが職人じゃないかな」
55歳のときの火事から始まり、今年で10年。そんな高山さんの座右の銘は「お客様の笑顔」。店舗を持たず、高知や長崎の記念館などに卸すことが多いからこそ、客の顔を思い浮かべつつ作業することを忘れない。

美しい花や果実から歴史上の偉人、さらには結婚式のグラス用にひとつひとつに出席者の名前、赤ちゃんの手形足形など、様々なオーダーが高山さんのもとに届く。店や業者の「高山さんだから」という信頼とお客さんの喜びのために掘り続ける。

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