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2018.12.12
岩谷堂箪笥とは
奥州市江刺地方の名産品として千年近く前からつくられてきた岩谷堂箪笥。重厚で堅牢なつくりや、天然木目を活かした漆塗りも魅力だが、何といっても岩谷堂箪笥に欠かすことのできない要素が、意匠を凝らした豪華絢爛な金具だ。その手打ち金具を製造している工房が「彫金工芸菊広」である。紫綬褒章を受賞した名工・先代の菊池廣志氏に弟子入りし、2015(平成27)年に「菊広」を引き継いだ及川洋さんを訪ね、岩谷堂箪笥の彫金金具について話を聞いた。
岩谷堂箪笥
岩谷堂箪笥の起源は900年前にさかのぼる。そして、1780年代(天明時代)には岩谷堂城主・伊達村将(だて・むらまさ)が家臣に命じて車の付いた箪笥をつくらせたという。さらに1820年代(文政年間)に徳兵衛という鍛冶職人が彫金金具を考案し、現在の岩谷堂箪笥の原型が生まれた。岩谷堂箪笥の大きな特徴は、1棹に60個以上取り付けられた華やかで格調ある飾り金具である。
ライター 安田理央

ものづくりの仕事に憧れて入門

学生時代はラグビーに打ち込み、工業デザインを学んでいた及川さんが就職先として考えたのは「ものづくり」の現場だった。絵を描いたり機械いじりが好きだった及川さんは、自分で何かをつくる仕事につきたいと考え、色々調べているうちに地場産業に岩谷堂箪笥の製造があることに気づいた。
「おばあちゃんの家に岩谷堂箪笥があったり、小学校で箪笥工場の見学に行ったりはしていたんですけど、それまで特に意識はしていなかったんです。でも地元でそんな産業があるならば、これはいいんじゃないかと思って工場を見に行ったんです」
工場で箪笥づくりを見学した際に、及川さんはそこで岩谷堂箪笥に欠かせない手打ち金具をつくる仕事があることを知る。当時、金具は鋳物製のものが大半を占めていたが、一部の高級品には手づくりの手打ち金具が使われていたのである。
「工房を見に行ったら、金具は全て手作業でつくられていたんです。元々絵を描くのが好きだったので下絵を描くのも興味がありました。これだと思って、何度も通って弟子入りさせてもらいました」
こうして及川さんは新卒で「彫金工芸菊広」に入り、菊池廣志氏に師事することとなった。しかし、弟子入りして最初の1年間は、ひたすらヤスリがけの日々であった。朝から晩まで師匠や先輩が彫った金具の縁にヤスリをかけ続けるのだ。
「この1年で辞めちゃうんですよ」そういって及川さんは笑う。何よりも根気が必要なこの仕事をやっていけるかどうか、最初の1年でふるいにかけられるのだ。

作業場に置かれていた古い岩谷堂箪笥。おそらく明治時代につくられたものだというが、まだ現役で使われている。「しっかりつくられた箪笥は、親・子・孫と三代使えるといわれてるんです。こうやって自分が死んだ後でも、ずっと使われていくんだと思うと職人としては嬉しいですよね」使い捨てにされる家具にはない魅力がそこにはあった。
龍や花鳥、松竹など古くから伝えられている絵柄のなかから選び下絵を描いて金属板に貼り付け、それにそって鏨(たがね)で彫り込んでいく。絵を描くのが好きだった及川さんにとっては、下絵を描くのも楽しい作業だ。「古くからの絵柄にこだわらず、オリジナルの絵柄を注文されることもあるんですよ」

20年の修行を経て工房を引き継ぐ

ヤスリがけができるようになったら、鏨(たがね)を鎚で打ち、輪郭を彫っていく「線彫り」。そして裏から金槌で叩いて模様を浮き出させる「打ち出し」を任されるようになる。
「5年もやると、ひと通りの作業を覚えて、それなりの金具をつくれるようになります。でも、同じものを10個つくるのは難しいんです。そこまでできるようになるには、やはり10年はかかります」
修行は辛かった。辞めようと思ったことも一度や二度ではない。しかし、及川さんは彫金という作業の面白さに魅了されていった。気がつけば20年という歳月が過ぎていた。
2009(平成21)年に及川さんは伝統工芸士として認定され、2015(平成27)年には師匠の菊池廣志氏が引退するに伴い、「彫金工芸菊広」を引き継ぐこととなった。
「少し前から経営的なことなども手伝うようになっていたので、急に任されたという感じではなかったですね。でも、それまでは給料をもらう側だったのが、全部自分でやらなければいけないというプレッシャーはありました」
現在は奥さんが「見習い職人」として仕事を手伝っているものの、基本的には及川さんひとりで「彫金工芸菊広」を支えている。毎朝8時から仕事を始めて、午後5時に上がる。忙しいときは1〜2時間ほど残業することもあるが、基本的には規則正しい生活。仕事の前と後に、愛犬のボーダーコリーを散歩させるのが息抜きになっているという。

200本以上という鏨をはじめとして、制作に使われる道具はほとんど手づくりだ。一本一本曲線が違っており、必要な線によって使い分けて行く。どの曲線でどの鏨を選ぶのかも、職人の腕である。及川さんがつくったものもあるが、先代から受け継いだ道具もたくさんある。道具もまた、長く使われていくのだ。

1枚の金属板から
全てをつくり出す

金具づくりのどこに惹かれるのか、及川さんに尋ねてみる。
「1枚の金属板から全てをつくるところですね。何もないところから模様を彫って、裏から叩き出して立体にして作品をつくり上げていくのが楽しいんです」
模様を彫るために使われる鏨は200本以上あり、常に20本、30本は使用するが、それも全て職人の手づくりである。
岩谷堂箪笥1棹には60個から100個に及ぶ金具が取り付けられる。基本的にひとりの職人がひと棹分の全ての金具をつくるため、1ヶ月にせいぜい2〜3棹しか仕上げることができない。
「でも、最初から最後まで、全部自分でつくれるというのが魅力でもあるんです。機械もほとんど使いませんから自分の腕次第なわけです」分業による大量生産よりも、全ての工程を自分で手がけられる一点づくりのほうが、ものづくりに喜びを覚える職人にとっては魅力的なのだろう。
同じ下絵を使っていても、叩き出し方によって形は微妙に変わるため、ひとつとして同じものはない。それぞれに叩き方の癖があり、それが個性となる。金具を見れば職人同士で、誰がつくったものかもわかるのだという。これは大量生産でつくられたものにはない特色だ。
「しっかりつくられた箪笥は、親・子・孫と三代使えるといわれるように、長く使ってもらえるのも作り手としても嬉しいところです」

絵柄が彫り込まれた1枚の金属板が、立体的な金具へと変わっていく工程がよくわかる。裏側から金槌で打ち出していくことで模様を打ち出すのだが、その加減で金具の表情は全く変わるのだという。及川さんが見れば、どの職人がつくったものか、だいたいわかるそうだ。

無限大に広がる彫金の可能性

及川さんが手がけている手打ち彫り金具を使用した岩谷堂箪笥は、収納するための実用品というよりも芸術的な伝統的工芸品として見直されている。その重厚な美しさは海外でも高く評価されているという。
「2011(平成23)年に平泉の文化遺産が世界遺産に登録されたこともあって、岩手県にも海外からの観光客が増えているんです。こうした人たちにも地元の工芸品としての岩谷堂箪笥をもっとアピールしたいですね」
さらに及川さんは、この金具づくりの技術を活かして、箪笥金具以外の彫金商品にも力を入れたいと考えている。
「お寺や神輿の装飾金具や、チャグチャグ馬コ(滝沢市と盛岡市の春の催事。華やかな馬具をまとった馬を連れて進行する)の馬具につける飾り金具もつくりました。愛犬の写真をいただいて、それを絵に起こしたものを彫金したこともあります。色がないので毛の模様の表現が難しかったんですけどね(笑)」
世界でも類をみない岩谷堂箪笥金具の高い彫金技術の可能性は無限大である。伝統に縛られない今後の展開にも夢は広がる。

金槌で絵柄を叩き出していく。それぞれの金属によって特性は違うし、強く叩きすぎれば板は裂けてしまう。その力加減で金具の表情は全く変わるのだという。それぞれの職人に独特の癖があるので、これもまた及川さんが見れば、誰がつくったものか、だいたいわかるそうだ。

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