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2017.3.31
楢原木工の代表・仲澤太郎さんは上野村の主要産業である林業に携わっていましたが、昭和57年にその素材を生かした木工工芸品を作ろうと決意。35年に亘り、様々な工芸品を作り続けています。なかでも器ものに関しては数ある木材のなかで加工が難しいといわれる桑を選び、加工技術を磨いてきました。81歳になる現在も日夜研鑽を積む仲澤さんの工場を訪ねました。
ライター 盛林まり絵

村長の想いに感動して木工工芸家に

林業から木工工芸家に転身したきっかけは何ですか?

元々は山から木材を伐り出してトラックまで搬出する仕事をしていたのですが、昭和50年代に当時の黒澤丈夫村長が、村の資源を生かした木工を産業として起こそうと考えました。その想いに感動し、木工をやろうと腹を決めたんです。村の産業として軌道に乗るまでは、木製品で有名な産地に人を派遣し修行させ、その技法を学んだり、生産設備を整えたり、江戸指物の先生を上野村にお呼びして教えていただいたり、村一丸となって努力しました。そうした紆余曲折を経て、村も、私自身も今があります。

上野村の木製品の特徴は?

木目を生かした美しい仕上がりです。木製品全体の特徴としては、触れたとき、唇にあてたときの感触がよく、温もりがある。そういうものが特徴です。以前は上野村の木製品は問屋さんから大量に注文があって、寝る暇もないほど忙しい時期がありました。

仲澤さんが作るものの特徴は?

80の手習いとして色漆を塗ったものも手がけています。あと、日本全国どこでも木製品の材料はケヤキが多いんだけど、うちは主に桑を使っています。桑という木材は何も塗らず削ったままの器に水を入れても漏れないぐらい、堅くて密なんです。ケヤキだと導管を通じてターッと漏れてきちゃう。桑は昔から神木とされていて不思議な力があるとか、桑で作った器は長寿の器と呼ばれ中気にならないなどといわれていて、縁起がいい木なんです。だから私は桑がいいと思って。大量に桑を用意していたら、当時は周囲にも家族にも「何を考えているんだ」と言われましたが、材料から変えていこうという考えが半分、意地も半分で続けました。だからうちの器ものは桑が主体です。

仕事に惚れているから良いものが作れる

苦労されていることはありますか?

苦労というのかどうか、頭のなかはいつも木工のことでいっぱいなんです。ちょっと息抜きしようと思ったら、違うものを作ってみるのが息抜きになります。仕事っていうものは自分のやっていることに惚れなきゃ駄目です。惚れることで考え、工夫し、良いものを作り上げていけるんですよ。

始めた頃と比べて変化したことは?

問屋さんと付き合って忙しかった頃は、材木の購入、削る、漆を塗る、販売などを分業でやっていました。村で木工をする人はみんなそうでしたね。でも昔、私のデザインを外国に持っていって大量生産されたことがあって、問屋さんとのお付き合いをやめたんです。日本人の生活も洋風に変わって、木製品を使う人も減りました。20年ほど前からは、少量生産で多品種を作る方向に切り替えています。同じものを100個作るよりも10種類のものを10個ずつ作るんです。今は自分で材木を買い、半製品を作り、自分で削って、自分で塗るという一貫生産です。お客さんのニーズに応えようと色を変えたり、縁の厚みを変えたり、とにかくいつも考えていますよ。

仕事のやりがい、楽しさは何ですか?

作ったものをお客さんに褒められるだけでなく、買って使ってくれると何ともいえない最高の気分になれます。人に喜んでもらえるってことがいいね。ある程度、販売が順調に伸びれば、こんなに良い仕事はありません。

自然のなかでお金がかからない暮らし

上野村のいいところは?

自然のなかでのんきに生活ができるってことですね。暮らしやすいんじゃないかな。最近はIターンの人が来てくれるようになり、その人達にも「野菜ができたから、なければやるよ」というような村ですから。退職して年金で暮らす人も、東京ではお金が足りないかもしれないけど、ここに来れば年金で貯金できますよ。

上野村ならではの特色ある取り組みはありますか?

黒澤村長の時代から森林整備を進めていましたが、現在の神田強平村長になって森林資源の地産地消としてバイオマス活用が一気に具体化しました。バイオマス発電も行っています。それらを参考にしたいという方々が、日本全国から上野村に視察に来ていますよ。
小中学校では子供同士で切磋琢磨してもらおうと、都会の小中学生が上野村で暮らす山村留学プログラムを実施しています。私自身も今までに名古屋、横浜、千葉から来た3人の子を預かりました。今はみんな大人になって立派に働いています。その子達は今でも時々うちに遊びに来てくれるから、私の家族はそれを楽しみにしています。こういうことは、言葉や文字では言い表せないほど満ち足りた気持ちになります。

人口が減るなかで、後継者についてはどのように考えていますか?

現在は倅が後継者としてやってくれています。もし今後、木工が好きでやってみたいという方が現れたら、責任をもって受け入れます。教え方は厳しいかもしれませんが、そうじゃないとなかなか覚えられません。キツいことを言われたときにその相手を嫌いになるのでなく、なにくそとやる気に変えられるような人なら続けられるかな。やっぱり仕事に惚れなきゃ。惚れきらなきゃ駄目。もしも、こんなことを言う人間のところへ行ってみたいという方がいれば、責任をもって仕事も教えるし、住む場所から何からできる限りのことはします。

黒澤丈夫村長とは:上野村を語るうえで欠かせないカリスマ村長。上野村に生まれ育ち、戦時中は海軍少佐として零式艦上戦闘機(零戦)の戦隊を指揮。戦後は村に戻り、昭和40年から10期40年にわたって上野村村長を務め、急速な過疎化に対抗する様々な産業新興策を打ち出し、村の発展に尽力。昭和60年に村内の御巣鷹山で日航機墜落事故が発生した際の際立った陣頭指揮が話題となり、全国的にその名を知られるように。平成7年から11年までは日本全国の町長と村長による連合組織・全国町村会の会長に就任し、日本の地方自治の牽引役となった。平成23年97歳で永眠。上野村はもちろん、地方自治の歴史にも名を刻む名村長として村役場の前には銅像が建てられている。著書は『わが道これを貫く』(上毛新聞社出版局)、『過疎に挑む−わが山村哲学』(清文社)など。

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