更新日:2017.09.18  writer:盛林まり絵

物事はなんでもそうだけど、好きになればええ。

締め込み職人
中川 正信(なかがわまさのぶ)さん
滋賀県/長浜市

京都の西陣でつくられる先染めの紋織物(模様を織り出した織物)は西陣織と呼ばれ、日本を代表する織物として知られている。現代の西陣を代表する織元のひとつが『おび弘(おびひろ)』だ。同社の豪華絢爛な帯の約9割は手織りでつくられている。滋賀県長浜市にある同社の工房では貴重な手織り技術と手織り用織機が大切に受け継がれ、大相撲の締め込み(廻し)も制作しているという。高い技術をもった15人の織物職人が働く工房にお邪魔した。

締め込みとは?

大相撲の本場所で力士が締める廻しのこと。十両以上の力士だけが、本場所で稽古場と異なる締め込みをつけられる。中川正信さんが織る締め込みは幅約76cm、長さは平均約7m。経糸(たていと)のみが表面に出る繻子織(しゅすおり)の絹織物で、締め込み専用の大型手織り用織機を使い、高級帯をつくる技術が応用されている。

山門湿原を擁する森のそばの工房で熟練の職人達が高級帯を制作

滋賀県北部の県境には、日本最大級の湿原といわれる山門(やまかど)湿原を擁する森が広がっている。この一帯は適度な湿気が必要といわれる絹織物の制作にちょうどいい気候で、おび弘の経営者の親戚が住んでいたご縁もあり、おび弘は1965年に京都から山門湿原のそばに工房を移転した。
工房・山門工場には、天井に届きそうな高さの手織り用の織機が17台も並んでいる。ひときわ大型のものが大相撲の締め込みをつくるための織機だ。ベテラン職人がこれらを動かし、複雑な袋帯、名古屋帯といった高級帯と、締め込みを織っている。紋様によっては熟練の職人でも1日10cm前後しか進められず、一本織り上がるまでに2カ月ほどかかることもあるという。
「私達はただ織るだけだから」と長年織り続けてきた職人達は控え目に言うが、貴重な技術によって仕上げられた帯は、一本100万円以上もの値段で百貨店や専門店などに並ぶ。「手織りでしかできない複雑な帯が仕上がったときには、自分らでも凄いなあと思うときがあります」と語る女性職人の言葉に、自信と誇りが窺える。

色の異なる緯糸を巻いたいくつもの杼(ひ)。織っているときに裏になる面が、完成すると表になる。「毎日できあがるのを楽しみに織り、時間がかかればかかっただけきれいに織れたときの嬉しさは大きいんです」と帯の織り手は語る
戦後の大変な時代におび弘の創業者が苦労してお金を工面し、つくられた織機が並ぶ。調子が悪くなれば職人が自分達で修理し、今日まで受け継いできた。帯と締め込みの手織り技術・職人だけでなく、織機自体も貴重なものなのだ

大相撲の締め込みを織るのは男性が30分で限界となる重労働

おび弘が帯のほかに締め込みをつくり始めたのは、戦後間もない1949年。創業者でもある、現社長の祖父と父が得意先から依頼を受け、試行錯誤の末に完成させたのが始まりだった。今もその頃と同じ織機を使い、同じ様に手織りで仕上げている。締め込みをつくる会社は現在日本に3社しかなく、手織りでつくっているのは、おび弘だけだ。
同社で長年締め込みを織り続けているのは、今年71歳の中川正信さんである。中川さんの妻がおび弘の経営者の遠縁にあたり、同社の職人として働いていたことから、1969年に中川さんも山門工場に勤めるようになった。始めは着物の帯を織っていたが、1992年から締め込みを専門に織るようになったそうだ。「締め込みを織るのは重労働なので、嫌がる人も多かったんです。でも僕は国技の大相撲に携われるなんて、こんないい仕事はないと思って引き受けました」と中川さんは語る。
締め込みは番付発表後に注文が入り、1カ月間で織り上げなければならない。男性二人が30分交代で織らないと体力が続かない重労働だ。一本織るのに最低5、6日はかかり、忙しいときには朝6時から夜の6時まで働く。夜中に脚が痙攣して目覚めることもあるという。「明日はもうできんぞと思うこともあるんだけど、次の日ここに座ると動いてしまう。その繰り返しです」。最も気をつけているのは、納品まで一切汚れないようにすること。約30分で7cm織り進めるたびに、表裏の傷の有無を確認する。

“縁起物だからね。汗一滴落とさないよう気をつけています”

家庭では気が短いという中川さんだが、仕事では織物に傷がつかないことだけに注意し、無心で織る。「楽しく仕事をせんと。僕は自然が大好きなんで、山があって田んぼがあって畑があって、そのなかで仕事ができるのは最高やと思ってやってますね。織り物がないときには田んぼでめいっぱい働く。こんな楽しいことはない」。

何千本もの経糸(たていと)に色違いの緯糸(よこいと)を編み物のように絡ませて複雑な紋様を織る。一般的に西陣の織屋では単一の織り方で織ることが多く、組織を複雑に組み合わせることはしないが、おび弘では多種多様に組み合わせて独自性の高い帯を制作している
織り上がるまでの工程は、ほぼ全てが手作業。細く切れやすい経糸を二人がかりで繋いでいく
紋意匠図。指図とも呼ばれる帯の設計図で、帯の図案を拡大して写し取り、どのような組織で織るかを色別で塗り分けてある

若い力士が締め込みを使ってくれて出世していくのが何より嬉しい

糸は生き物のように温度や湿気によって微妙に状態が違うため、中川さんは絹糸がきしむ音や手触りなど長年の経験により培われた感覚で、仕上がりの柔らかさを調整する。そうして完成した締め込みは、しなやかで肌触りがいいのが特徴だと中川さんは言う。
現役時代の朝青龍関はその肌触りを気に入り、数本まとめて直接注文してくれたという。また、魁皇関は色が褪せるまで使ってくれたそうだ。「直接聞いたわけではありませんが、きっと肌触りがいいんや、締め心地がいいんや。だから締めてくれたんではないかなと思って。やっぱり嬉しかったですね」。
通常、締め込みは後援会や仲買人から注文が入り、どの力士が使うものなのか織り手にはわからない。中川さんが織る締め込みには3、4cmの金糸のラインが入るため、それを目印に見分けているという。かつては曙や千代大海、前述の朝青龍、魁皇、今なら日馬富士、隠岐の海、嘉風、大翔丸、宇良などが中川さんの締め込みを使ってくれていると嬉しそうに話す。

“若い力士がうちの締め込みを使ってくれて、段々出世していくのを見るのが何よりも嬉しいんです”

締め込みに使う経糸の本数は約3万本。緯糸には太さや強度の異なる19本の糸をより合わせて1本にしたものを使用する。「緯糸を19本より合わせているのは何故かというと、物を考えるときにね、家族5人で考えるより他人さんやいとこさんを寄せて考える方が色々な意見が出て良くなるのと一緒でね。柔らかみのなかに強さが出るんです」と中川さん

織物を好きになって楽しむ意欲があれば誰だってできる

山門工場で手織りが存続している理由には、おび弘現社長の「後世の人がおび弘の帯を見て、どのように織られたのか不思議に思うほど素晴らしいものを残したい」という想いが根底にある。そして、高度な技術を苦労の末に習得し、現在も織り続けている職人達の誇りを保ち、名誉を守りたいという願いもある。「僕は今の社長のそういう気持ちに打たれてね。今後も体が続く限り続けたい。後を継ぐ人にうまくバトンを渡してね」。
現在は、新しく入社した30代の男性に締め込みの織り方を教えている。前職は大阪で会社員をしていたという男性は相撲が大好きで、メディアを通じて中川さんを知り、織物の世界に飛び込んだ。大阪から滋賀県長浜市に移住し、丸一年になる。新人男性は「様々なものが機械化されている時代だからこそ手を動かすことが楽しいし、美しい帯が仕上がると感動します」と話す。締め込みは帯の手織り技術の延長にあるので、普段は帯の織り方を学び、締め込みの注文が入る時期には中川さんから締め込みの織り方を習っている。
中川さんは「締め込みは年中織るものではないけど、毎日やれば5カ月ぐらいで一通りは覚えられる」と言い、体力が必要な作業だが女性でもできると断言する。「物事はなんでもそうだけど、好きになればええ」。

“楽な仕事はないから、楽しくしようという気持ちさえ持てればね。意欲があれば誰でもできると思いますよ”

中川さんをはじめとする職人達の高い技術と、織物を楽しむ心を受け継ぐ、より多くの後継者の登場が望まれている。

締め込みをつくるため、大阪から長浜市に移住して修行中の安川さん。経験を積んで技術を身につけ、一生懸命働くことに集中したいと語る。長浜市の印象は「きれいに整備されていて人が暮らしやすい田舎で、人が温かい」
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