元々ジュエリーの学校に通っているときに、その美しさに一目惚れしてとんぼ玉の道に進んだなかの雅章さん。“ムリーニ”と呼ばれるイタリアのガラス職人の技術とを組み合わせた彼のとんぼ玉が映し出す細やかな美しさと奥深さはまるで宇宙のよう。現在では同じくガラスを使った工芸であるミクロモザイクも手掛け、奥様のとっとさんとふたりで営む工房から未知の煌めきをつくり出す。
澄んだガラスのなかに様々な模様や細工を描き出す工芸・とんぼ玉。紀元前からエジプトや中国などでつくられ、日本でも吉野ヶ里遺跡から出土したり、正倉院にも収蔵されているなど歴史は古い。広く庶民に愛されるようになったのは江戸時代、海外のガラス技術に細かい装飾を加えて一大ブームを起こした。現代では、より繊細さを増した工芸品として愛されている。
昔ながらの商店が並ぶ商店街がシンボルの街・東十条。東京の下町という雰囲気が似合う道中に、なかの雅章さん・中野とっとさんらの工房『海津屋』がある。1階は実妹が営むパン屋さん。そのあたたかな雰囲気も相まって、白壁に浮かぶ“とんぼ玉とミクロモザイク海津屋”という文字の下にあるドアは、まるでファンタジーな世界に誘う扉のよう。
元々、この街の呉服屋の生まれという雅章さん。ジュエリーの学校で彫金を学んでいたときに出会ったのがとんぼ玉。金属や宝石の色に比べて、自分の好きな色が出せるのがガラス細工。より自分の個性を出せると惚れ込んでとんぼ玉の道に進みました。それは子どもの頃から和服が身近にあった雅章さんにとって、江戸時代の粋人たちが熱狂したとんぼ玉に感心を持たせたのかもしれない。
1,200℃ものバーナーでガラスを溶かしながら、芯棒にくるりくるり巻きつける作業は一見飴細工のようで簡単に見えますが、それは雅章さんの熟練の腕があるからこそ。美しくなめらかにガラスを玉状に仕上げていくなかで、複数色のガラスを混ぜ合わせてマーブル模様をつくり出したり、炎相手に一気に美しい逸品をつくり上げる腕は“東京マイスター”(東京都優秀技能者知事賞)の名にふさわしい。
雅章さんがつくり出すとんぼ玉の特徴のひとつに、イタリアのガラス工芸の技術“ムリーニ”があります。シンプルな花びらや図形から、応用を重ねていけばわずか5㎜程度のサイズに人の顔や動物の絵を描くことまで。透明に澄んだガラスのなかに、繊細な“ムリーニ”が収められた様子は、まるで時が止まったかのよう。手間がかかりながらも、最後に失敗という事も多いので好んでやる作家は多くはないが、雅章さんととっとさんはその緻密さに惹かれ多くの作品に取り入れてきた。
「日本とイタリアではガラスそのものも違うんです。だから技術も違うので、お互い『そんな技術もあるんだね』と学び合う感じです。現地から帰ってもフェイスブックなんかで交流は続いてます」(雅章さん)
その美しさと繊細さが買われ、北区伝統工芸保存会会員でもあるなかのさんは、北区内を走る都電スタンプラリーのプレゼント用に都電の“ムリーニ”が入ったとんぼ玉を制作したり、区に来訪した海外からの客への贈答品として選ばれたりと、この地域を代表するプレゼントの品をつくる職人として認知されつつある。また最近は2021(令和3)年のNHK大河ドラマで主役になる渋沢栄一が北区とゆかりが深いということで、とんぼ玉作品で盛り上げていきたいと思っている。まさに北区を代表する輝きをつくり続けている職人だ
とんぼ玉をより美しく、より繊細な表現を突き詰めていった一方で、ムリーニのパーツをもっと活かせないかと考えた中野夫妻。そんなとき、あるお客さんに「とんぼ玉ができるんならこれもできるんじゃない?」と見せてもらったのがミクロモザイクだった。
ブローチにペンダントトップ、フォトスタンドやオブジェといった作品で用いられるミクロモザイクは、台座の上に専用の粘土を敷いてその上にガラスのパーツを並べていく緻密な工芸。ガラスならではの発色、それと刺繍のような細やかさ。日本の技術者をくまなく探したが見当たらなかったので、意を決してイタリアに渡り、職人探しから始めた。持参したムリーニ作品を糸口に、理解を求め、現在の職人や古い歴史をもつ作品から多くのことを学び取り、ラヴェンナやバチカンなど、本場の多種多様なモザイクに圧倒されながらその技を掴んでいった。
イタリアに何度も通い、その技術を高めていったふたり。イタリアの技術にとんぼ玉の技と技術を合わせて、ガラスの楽しさをさらに広げようとしている。
「つくるときに頭や感覚を使うところも違って、時間をかけて緻密にやるのがミクロモザイク。バーナーで一気につくり上げるのがとんぼ玉なんです」(とっとさん)
雅章さんも「両方やることで作品のバランスが良くなったし、色へのこだわりが強くなりましたね」と言う。ふたつのものが補い合いながら、より良い作品をつくり出していく。とんぼ玉とミクロモザイクのふたつを、夫妻ふたりでつくり上げたこの工房だけのコンビネーションだ。
生まれも育ちも東十条の雅章さん。ずっと実家の呉服屋の2階を工房として使ってきて、10年前に新しい工房をつくるときもこの地を離れることは考えられなかった。宝飾関係の店が集まる御徒町が近いというのもある。それ以上に、何より昔ながらの、そして今の東京では珍しい下町らしさがあるあたたかな商店街が好きだったからだ。「ずっとこの商店街のなかで過ごしてきましたからね。離れる気が起きないんですよ」と笑う雅章さん。子どもの頃から細かい作業が好きで、職人としての仕事には向いていると自分でも思っていた。しかし、歳月を経るごとに人も変わってきたのだという。
雅章さんにとっての息抜きは子どもと散歩すること。ただ、そんな瞬間に感じた季節ごとの自然の変化からアイデアが出ることも多いのだとか。それ以外にも歴史が好きだということで、本を読んでいるうちに新たな構想が頭に浮かび上がる。
「そんな息抜きが仕事になるんですね。散歩中に気づくことも昔とは変わってきましたね」
子どもの頃からこの街で体感してきたことの蓄積が、作品により深みを与えていく。
雅章さんにとって、作品をつくるときの心構えは『つくりたいものをつくる』。散歩や本、美術館といった日常から得たものをインプットして、とんぼ玉やミクロモザイクとして自分の世界をつくり出す。平面的に表現された物、立体的な物、様々な表現のデータを集め吟味し、頭の中にある世界に近づこうと築き上げていく。
「ただ、とんぼ玉は完璧を求めないで『つくる』という行動自体が好きな人が向いてると思います。完璧になめらかな円形をつくるのには数年かかります。でも、それをつくること自体が楽しいんです。実際、うちの教室に10年以上通っている生徒さんたちに魅力を聞くと『なかなか思い通りには作れない。でもそこが楽しいよね』って」 美しさを極めていくだけがアートではない。雅章さんの作品は、この商店街でこれからも輝き続けるに違いない。