更新日:2018.12.06  writer:大矢幸世

美しいものを見ていると心が洗われますよね。花は一生の生きがいになるんです。

フラワーデザイナー
網野 妙子(あみのたえこ)さん
神奈川県/横浜市

部屋に自身が手がけた数々のフラワーアレンジメントが飾られ、四季折々の表情を見せる。フラワーデザイナーであり、『MAFD AMINO』を主宰する網野妙子さんは、ドイツで学んだフラワーアレンジメントの技術を多くの人々に教えてきたパイオニア。そして、プリザーブドフラワーを日本に広めた立役者でもある。生き生きと活躍する網野さんの原動力は何なのか。花に対する思いやプリザーブドフラワーとの出会いなどを伺った。

プリザーブドフラワーとは?

生花の色合いや瑞々しさが保たれたドライフラワーの一種。1991(平成3)年、フランスのヴェルモント社が技術を開発し、“長寿命のバラの切り花”を発表した。生花を乾燥させ、色素入りの特殊溶液に漬けることで美しい風合いが長く楽しめる。現在ではウェディングブーケの加工やショップディスプレイなど、様々な用途に使われている。

華道とフラワーデザインを習得

フラワーデザイナー・網野妙子さんのもとには、その技術を学ぼうと全国から受講生が集まる。アレンジメントだけでなく、プリザーブドフラワーをつくる技術を網羅するカリキュラムを学ぶことができるのは日本でここだけだ。「お花を見ていると、心が洗われるんですよね。別に、高価な花かどうかなんてかまわないんです。街を歩いているとき、道端の雑草の中に咲く花を見つけたとき、美しいな、綺麗だなと感じられる人なら、誰でもフラワーデザイナーの素養はありますよ」と網野さんはほほえむ。
静岡で生まれ育った網野さん。隣家に住んでいたのが華道の教授だったことから、幼少の頃から自然と“花のある暮らし”が身近なものとなっていた。その後、本格的に華道を学び、教授資格を取る。結婚後も主婦業の傍ら、華道の先生として生徒たちへその流儀を教えていた。
転機が訪れたのは、30歳になってすぐのこと。夫の転勤に伴い、ドイツでの新しい生活が始まった。日本では“女性の嗜み”として、生け花を習うことが尊ばれているが、ドイツでは“花を生けること”がプロフェッショナルな仕事として確立されており、マイスター認定を受けたフローリスト(フラワーデザイナー)が活躍していた。
ドイツでは1950年に国立花卉(かき)芸術専門学校が設立され、そこではフローリストに必要なデザインや植物学、マーケティング、経営学などが教えられている。国家資格として確立されているほど、フローリストは特殊技術を要する職業として見なされているのだ。そして意外なことに、国立花卉芸術専門学校の設立当初に使われていた基本のテキストには、実に1/3もの分量を割いて日本の華道について紹介されている。
網野さんはドイツで暮らす8年間、フローリストたちに日本の生け花を教えることになった。そして逆に、網野さんはフラワーデザインを学ぶことになる。「フラワーアレンジメントは主にアメリカとドイツで体系的に発展していて、まさに最先端の学びがあったんです。一方でドイツのフローリストたちはみんな、生け花に興味津々でした。『生け花にはフラワーデザインの基本がある』と言うんです」。

『MAFD AMINO』のアトリエには四季に合わせた色あいのプリザーブドフラワーアレンジメントが飾られている。プリザーブドフラワーは生花のような風合いながら、造花のようにグリッター(ラメ)やカラースプレーなどを用いて、遊び心あふれるアレンジが可能だ。

ドイツでフラワーデザインを学ぶうち、網野さんにはある思いが芽生える。「華道は、何か明確な理論があるというより“道を極める”もの。何年も何十年も探究を続けて、80歳を超えて初めて取れる資格もありますし、なかなか教えてもらえない花伝書もある。一方、ドイツでは細かいところまで理論づけられていて、きちんと学びさえすれば資格も取れる。マイスター制度によってプロフェッショナルを育てる仕組みが確立されている文化に感銘を受けました」
帰国後、網野さんはドイツ流のフラワーデザインを広めるべく、活動を始める。アトリエでのレッスンにはじまり、初の著書『Modern Art of Flower Decoration ― 華の世界』を出版。新しいスタイルの表現を求めるフローリストたちにとってのバイブルとなった。ドイツのテキストのようにその工程から詳細に説明するものは珍しかったからだ。「はじめは『こんなに文字が多いのは読まれないでしょう』と言われたこともありましたが、マニュアルがしっかりあるからこそ、多くの人が技術を身につけることができる。みなさんきっとそれを知りたいはずと考えていました」

“プリザーブドフラワーを日本へ広めていった当初は、お客様もみんな不思議そうで、説明にも苦労しましたね”

2018(平成30)年9月に出版された網野さんの著書『トロッケンゲシュテック:木の実とスパイスの飾り花』(誠文堂新光社)には、トロッケンゲシュテックの基本的なつくり方からイラストで見る素材別ワイヤリングの方法などが、図解でわかりやすく紹介されている。

海外で出会ったプリザーブドフラワー

フラワーデザイナーとして活躍するようになった網野さん。生花やトロッケンゲシュテック(ドイツ伝統のナッツやスパイスを使ったアレンジ)などフラワーアレンジメント教室の経営にも才覚を見せ、その功績と高い技術が評価されて、アジア初となる国際園芸博覧会(花博)、1990(平成2)年に開催された大阪の『国際花と緑の博覧会』で日本政府ブースの装飾を担当。以降、世界各地で行われる花博でも継続的に装飾やデモンストレーションを行うこととなる。
さらに1991(平成3)年、オランダで行われた花博で、プリザーブドフラワーとの運命的な出会いを果たす。「『どうやってつくっているの?』と興味を持って、まずは日本へ輸入することにしたんです。当時、ハワイでブーケを押し花にする事業を行っていたのですが、ドライフラワーをつくる機械を活用して、プリザーブドフラワーをつくることができるんじゃないか、と」
当初はプリザーブドフラワーそのものが珍しかったため、お客様の戸惑いもあったが、やがて爆発的に人気が広がり、国内ではプリザーブドフラワーを取り扱う企業として有数の事業者となる。そして様々な相談が寄せられるようになったという。「別名『エバーフラワー』と呼ばれていましたから、永遠に美しさが保たれると誤解する方も多かった。高温多湿な日本と、ヨーロッパとの気候は違いますから、適切に管理する必要があるんです」
プリザーブドフラワーをより美しく見せるため、管理方法からワイヤリングやテーピングテクニックなど数々のメソッドを伝えようとするうち、プリザーブドフラワーを包括的に学べる講座を開講。全国各地で講師活動を行いながら、文化の啓蒙と後進育成に励むこととなる。「以前は自宅に和室があるのが当たり前でしたが、今は畳がないのも珍しくない。生活様式が変わるなか、いかにそれに寄り添った花を提案できるか」

“ドイツではかつて暖かいも時期が短くて、長い冬を少しでも豊かに過ごすため、トロッケンゲシュテックが生まれたんです。拾った木の実や松ぼっくりでとても素敵な飾り花が生まれるの”

トロッケンゲシュテックは木の実やスパイスをリースや掛けカゴ、キャンドルスタンドなどにアレンジすることで、美しいデザインとスパイスの香りが楽しめるユニークな飾り花。装飾的なワイヤリングは、第一人者である網野さんならではの技術だ。

新しいことにワクワクし続ける

今では生花、プリザーブドフラワーに留まらず、アーティフィシャルフラワー、ソラフラワー(タイの水生植物ソラを使った工芸品)など、“花のある暮らし”を様々なスタイルで実現するフラワーデザイン講座の数々を展開。ディプロマ(認定資格)取得者は1300名余、代表を務めるプリザービングフラワーズ協会(2001年設立)認定資格修了者は約1500名などと、多くの後進を輩出。全国各地で認定教師として教室を開講する人も多く、生き生きと働ける原動力=確かな技術を伝えている。また、タイでソラフラワーの職人などの雇用を創出したとして、国から表彰を受け、エチオピアではホテイアオイの手編みカゴを事業化しようとするなど、そのバイタリティは留まることを知らない。「プリザーブドフラワー、トロッケンゲシュテック、ソラフラワー・・・色々と新しいことに目をつけて取り組んできたけど、どれもワクワクする瞬間がある。『うわぁ、綺麗!』とか『面白そう!』とか、その気持ちを大切にすると、思わぬきっかけが広がったりするんです。花って、一生の生きがいになるものだと思いますよ」

ソラフラワーは、タイで栽培された水耕植物『ソラ』の木の皮を薄くむいて乾燥させ、手仕事で花びらを型取り、花の形に成形する工芸品だ。吸水性に富んでおり、エッセンシャルオイルなどによって香りづけることでポプリフラワーとして飾ることもできる。

“花には季節が表れる。オフィスや診療所・・・空間に花があれば、みんな気分良く過ごせますよね”

ソラの木の皮を薄くむいた『ソラシート』を何重にも巻き、根元の部分を紐などで固定して、中心に向かって放射線状に切り込みを入れると、まるでアザミのように立体的な花ができあがる。網野さんはタイの現地工場で自ら技術を工員たちに伝授している。

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