更新日:2018.12.19  writer:大坪ケムタ

自分の心を入れやすいのが木。小さなかけらにも木の魂が宿っているんです。

木彫師
小森 惠雲(こもりけいうん)さん
木彫師
小森 恵司(こもりけいじ)さん
佐賀県/鹿島市

佐賀県が優れた技能を有する貴重な伝承者を認定している『佐賀マイスター』のひとりである四代目小森惠雲さん。初代から約150年、その木彫の技を受け継ぎ、『面浮立(めんぶりゅう)』の面を踊りのためだけでなく、県木である楠の木を使った白木彫りで木目の美しさや木の香りを引き出し、美しい工芸品として確立させた。また息子の小森恵司さんはスマホケースやスピーカー、魚拓や愛車のオーダーメイド木彫など、木彫の新たな可能性を広げている。

浮立面とは?

荒々しい鬼の面をかぶった踊り手が笛や鐘、太鼓に合わせて勇壮に踊る、佐賀県鹿島市周辺に伝わる伝統芸能『面浮立』。佐賀の秋の光景の象徴で県の重要無形民族文化財にも指定されている。その踊り手がかぶる鬼の面を『浮立面』という。凄みと美しさ感じさせる力強い表情が特徴的な面は、職人が100本以上のノミを使い、楠や桐、檜などの木からつくり上げている。

作り手と木とが噛み合ってくる

“四代目”という名が示すとおり、生まれたときから木彫職人の父・三代目小森惠雲の息子であった四代目小森惠雲さん。代々受け継がれてきた雅号『小森惠雲』の歴史は150年に及ぶ。しかし、代によって職人としての在り方は変わってきた。
「もともと木彫工芸というのは、宮大工をやっていた人が道具を使って彫っていたりしたもの。浮立面もそうです。私たちも初代・二代目はお寺を建てる大工で、仕事があるところを転々としていました。それが彫刻専門になり、民芸品を主につくるようになったのは三代目からですね」
子どもの頃から木工などのものづくりは好きだった惠雲さん。しかし当時は「家業は長男が継ぐ」のが当たり前の時代、末っ子ということもあって親の仕事を継ぐことは考えていなかった。
「高校のときに木でダルマさんをつくったんですよ。そのときに初めて『思いを込めてつくったものが形として残るんだ』ってことに気づいたんですね。そのときに跡を継いでもいいと思いました」
あらためて気づいたのは木の魅力。実際手にして、匂いをかぐことで感じるやすらぎ。さらに時を経ることで色がついていく。金属やプラスチックと違い、木は生きもの。その存在感に惹かれていった。
「つくっている過程で自分の“心”を入れやすいのが木なんです。削っていくなかで一度失敗すればもう使いものにならない。ただ、木の節なんかを活かして、その木ならではの細工をつくることもできる」

「小さい頃は板前になろうと思っていました」という四代目小森惠雲さん。彼にとってその道を変えることになったのがこの木彫のダルマ。どこか愛嬌がある風貌でありながら、こちらをまっすぐに睨みつけるような眼が印象的で、現在の浮立面にも共通するものがある。

“だからこそ経験を積むうちに、作り手と木とが噛み合ってくるのを感じるんです”

寸分違わず同じ面をつくってこそ職人

四代目小森惠雲の名を広めたのが、鹿島市を中心とした佐賀県西部~長崎県諫早市に伝わる伝承芸能・面浮立の面づくりだ。猛々しく口を開いた『雌』と、凛々しい眼を正面に向ける『雄』。惠雲さんの磨き上げられた技により生まれ、静かななかに生命の熱を感じる。
「昔は『面浮立の面はこう』という形がなかったんです。だから彫る人によって形は色々あったけれども、本当の職人はやっぱりものを右から左に移すようなつくりができないといけない。私の浮立面は右と左をまったく同じにして、高さも同じにして彫っていく。どこから見ても同じようなものをつくる、それが私のこだわりですね」
何者でもない木の塊から、100本以上のノミを使い分けることで鬼の顔を浮かび上がらせていく。ちょっとした刃のズレで、面の表情はまるで変わってしまう。ヤスリを使わずにすべてノミの作業のみで完成する。荒々しい面の顔からは思いもよらない繊細な作業、それはあたかも木に込められた魂を彫り出す儀式のようだ。
「“佐賀マイスター”っていうのをもらっているのは、『面浮立そのものを普及していけよ』って意味ですからね。昔は鹿島市で25ヶ所くらい踊っていたのが、今は13ヶ所くらいまで減ってしまっている。だから、こうした面を民芸品として広めていくのもそうだし、プライドを持って面浮立を守っていきたいですね」

彫っている途中の、荒々しさが残る浮立面。しかし既に表情から強さや勇ましさはひしひしとうかがえる。ここから何本ものノミを使って面を仕上げていく。踊りで使われる面は漆が塗られるが、飾る面はこの白木のままで、経年変化を楽しむ一品となる。
浮立面は一般的なものは黒。それ以外にも赤・緑などもあり、その位によって面が変わる。“武士が合戦のときにかぶった”という由来もあって、昔から魔除けとして自宅に飾る意味もあるのだという。

魚拓や愛車、木彫工芸に新しい風

浮立の面以外にも幅広い木彫工芸品を製作している惠雲さん。そのなかでもポピュラーなのが干支人形だ。鹿島市の代表的な観光地として祐徳(ゆうとく)稲荷神社があリ、初詣客も多く干支とは縁深い。そこでは、杉や白木で彫られた人形の愛らしさがお土産としても人気を集めている。
「干支の木彫りは先代から取り組み始めました。干支ってのは日本人にとって誰にでも身近じゃないですか。楽しみに集めてくれる人も多いです」と言いつつ、12年前と同じものをつくっても仕方ない、と動物の表情や動きなどを変えてその年ならではの人形をつくり上げる。
現在、鹿島の木彫職人は小森さんらを含めてわずか2軒。ただ“継ぐ”だけでなく、新たな木彫りを“築く”のも役割だ。そんな木彫工芸に新しい風を吹かせているのが、恵雲さんの息子である小森恵司さんだ。スマートフォンのためのケースやサウンドボックスといった現代生活に合った木彫の品に加え、大物を釣った記念の魚拓や長年乗った愛車をオーダーメイドで製作するという新しい提案を行った。なかでも魚拓の木彫りである“彫拓”は魚拓をデジタルデータ化し、現物どおりに彫っていくという新時代の木彫りだ。

“誰もやらないことをしなきゃいけない、と思ったきっかけは魚拓です。いろんな人のアイデアを聞きながら『これは誰もやったことないな』ということにチャレンジを始めたんです”

魚拓は地元に有名な釣り映像のYouTuberがいて、その人に話したら『面白いね』って紹介してもらって、そこから広がりました」と恵司さんは語ってくれた。

釣った魚を紙に墨で残すのが魚拓。その写真をデジタルデータ化し、木に一刀一刀彫り刻んでいくのが小森恵司さんが生み出した彫拓。紙と違って破れる心配もなく、玄関や床の間に飾って最高の思い出を深く刻むことができる。

木のかけらにも木の魂が宿っている

四代目の座右の銘は“見てござる”。奈良薬師寺の第127代管主・高田好胤の言葉で、いいときも悪いときも誰かが見ている、という意だ。仕事でつまづくことがあっても、誰かが見ていてくれるから頑張ろう、と思ってやってきた。
その言葉どおり、恵雲さんを“見ていた”人たちから最近他にないオーダーメイドの仕事が増えている。「佐賀牛の銘板とか表札や看板のオーダーも多いですね。珍しいものでは『夢で見たものを彫ってくれ』てのもありましたよ(笑)」と笑う恵雲さん。
「木というのは生きているんですよ。生きてきて育ってきたものでつくるというのは、これからも生き続けるということです」

“小さな木のかけらにしても、木の魂が宿っていて、これも匂い袋にでも入れれば役に立つし、生命力があるんです”

日常で“自然の生命力”に触れることが少ない現代。木の生命力と小森親子の気持ちと技術がかけ合わされた工芸品をひとつ机の横に置いておくだけで、スッと心が癒やされる。
最後にふたりへ「いい作品とはどんな作品だと思いますか」という質問をすると、揃って同じ答えが返ってきた。
「お客さんが喜んでくれた時はいい作品ですね。でき上がったときは、自分では『これでよし』と思ってるわけです。しかしお客さんから代金を頂いたときが本当の完成ですから。まだまだ生涯勉強ですね」お互いの作品を見ながら語り合う恵雲さんと恵司さん。職人としての追求は止まることがない。

5月の節句のお祝いなどに喜ばれるのが兜。シンプルなものから、家紋や龍・鬼などをあしらい、その造形はオーダーメイド可能で、世界にひとつだけの兜をつくることができる。木彫りならではの重厚さがありながら、ほのかな木の香りと存在感で国内外で人気だ。
恵雲さん、恵司さんが並んでノミを振るう工房。手慣れたなかにも、粘土などと違って一度彫り間違えてしまうと、ひとつ前の工程に戻れないだけに真剣さが漂う。恵雲さん曰く、木彫にまず必要なのは『やる気、彫る木、根気』の3つだという。
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