映画やドラマのロケ地として、アニメの聖地として、あるいは史跡の宝庫のような場所として。鞆の浦は近年、一気に広く知られるようになった。それに比例して脚光を浴びているのが、日本でも鞆の浦にある4つの蔵元だけで製造されているという保命酒である。歴代徳川将軍や公家、平賀源内にペリーも味わったという秘伝の薬味酒は、360年間、時代の波に翻弄されながらも令和の時代まで受け継がれてきた。鞆酒造の岡本純夫さんは保命酒を次世代に継承する役割を担うとともに、鞆保命酒協同組合の代表理事として、保命酒のさらなる知名度向上にも尽力している。
保命酒は鞆の浦で造られている伝統の薬味酒で、麹米・もち米・焼酎から作ったみりんに13種類の薬味を漬け込んで造られていた。万治2年(1659年)に中村吉兵衛が製造販売したのが始まりで、その後、福山藩を代表する幕府への高級献上品として全国的に知られるようになった。現代では健康のために愛飲されているだけでなく、鞆の浦ならではの土産ものとしても親しまれている。
保命酒は大阪の医師・中村吉兵衞により、すでに醸造業が栄えていた鞆の浦の酒と、吉兵衞の中国伝来の体によいとされる薬味の知識を合わせて誕生した。その人気にあやかってほかの藩も類似品を製造したが、江戸幕府が『備後の特産品』として庇護したことで淘汰されたという。明治時代にパリの国際万博に出展され、国外にも保命酒の名が広まると再び類似品を製造する業者が現れたが、“保命酒は中村家の専売特許”として認められたことで保命酒のレシピは門外不出となり、現在に至るまで鞆の浦だけで造られている。
しかし戦後、保命酒の売り上げは先細り、鞆酒造でもむしろ酒の卸売業のほうが順調だった。
「かまぼこを作る際にみりんを使うのですが、ある店がみりんではなく保命酒を使ってかまぼこを作ったら人気商品になったということで、保命酒最大の売り上げはかまぼこ屋さんという時期もありました」と語る岡本さんも、家業を継ぐつもりはなかった。京都の大学を卒業後は建設会社に入社、転勤で東京や大阪での暮らしも経験した。すると次第に、生まれ育った鞆の浦のよさが見えてきた。 「豊かな自然に家族多くの史跡、築200年といった家屋が町並みに溶け込んでいる。道も江戸中期の地図と同じまま変わっていない」
同時に、その鞆の浦で江戸時代から連綿と受け継がれてきた保命酒もまたかけがえのないものであり、次の世代へと継承していかなければならないという使命感が生まれた。そうして岡本さんは鞆の浦にUターン、鞆酒造の7代目として家業を継いだ。
鞆酒造には、保命酒を製造していた中村家の享保8年(1723年)当時のレシピがあり、それに基づいて保命酒を造っている。
「鞆の浦では鞆酒造を含めて4社が保命酒を手がけていますが、保命酒と名乗れる基準は、ベースがみりんであることと体の栄養になる天然産物由来の素材を用いるということだけです。だから鞆酒造では入れていない薬味を使っているところもあるし、仮に同じ素材を用いていたとしても、その配合は異なります」
鞆酒造の保命酒では、最初に強く感じるのが独特の香りだろう。その香りを「薬っぽい」と表現する人もいれば、「丁子(クローブ)の香り」と言う人もいる。そして口に含むと、とろりとした液体が含むまろやかな甘さが広がる。かつて甘いものがぜいたく品だった時代、甘さはおいしさに直結していた。保命酒が高級品として重宝されていたのもうなずける。
がぶ飲みするような類のものではない。小さなグラスやぐい吞みで、銘酒を楽しむかのごとく味わうのがいい。アルコールに弱い人は、水割りやお湯割りに、逆にお酒好きなら焼酎割もいい。どちらにしても、じわりと体が温まるのを感じられるはずだ。ちなみに岡本さんお気に入りの飲み方は、牛乳割りだという。ほか、炭酸割りもよし、ヨーグルトにかけるもよし。味わい方のバリエーションも豊かだ。岡本さんの代になってからは焼き肉屋さんからの注文も多いそうで、「おそらく隠し味に保命酒を入れているのだと思います」と、にっこり。
保命酒は、まずみりんを作ってそこに何種類もの薬味を漬け込み抽出、1~2か月ほど熟成させてから瓶詰めするという工程で造られる。熟成は長ければいいというわけではないそうで、あまり長すぎると逆に雑味が出てきてしまうのだという。また、熟成の途中で一度ブレンドしたほうがおいしくなるという意見もあるが、岡本さんは「そのままの味を正直に出したい」と思っているからあえていじらない。
Uターンして鞆酒造を継いだ岡本さんには、自分たちの商売だけでなく、保命酒全体を盛り上げたいという気持ちがあった。ちょうどいいタイミングで、鞆の浦自体がクローズアップされ観光客が増えたというタイミングもあり、この機を逃すまいと組合の設立を提案、ほかの3社も岡本さんの提案に乗った。そうして鞆保冷酒協同組合が創設された結果、大規模イベントに参加できるようになって知名度もアップ、福山市から保命酒が伝統産業という認定も受けられた。鞆酒造1社だけでは成しえなかったであろうことが、4社が組合として力を合わせたことで実現したのだ。
焼酎や薬味が手に入りにくい戦時中は、代替品でやりくりして造るしかなかった。たやすく入手できるご時世だとしても、消費者の嗜好やニーズは随時変化する。
「おいしく、かつ体の役に立つこと。それが自分の理想とする保命酒です。時代に合わせて柔軟に変化することは必要ですが、そのためには、“基”となる幹がしっかりしていないといけない。幹がしっかりしていて、初めて枝葉は伸びていけるのですから」 常夜燈に照らされる鞆の浦に、絶対無二の保命酒。これぞ最強の土地ではないか。